徒然サブカル随筆

気の向くままにサブカルについて綴ります

毒も皿まで食らえば美味

「幸色のワンルーム」という漫画がある。
今度実写映画になるらしい。ジャニーズ主演で。
まぁ実写映画の方は正直あまり興味はないのだが、漫画は個人的に読んでいた。


何気なく「幸色のワンルーム」で検索してみたら、何故か炎上のタグが付いていて、そこでこの漫画を巡る騒動を知った。

この漫画、「実際にあった事件」を元ネタに作られていると思わざるを得ない時期にネット上で発表された漫画であった。(作者は関連性を否定している)

この漫画がネットに発表される数ヶ月前に、埼玉で少女が2年間誘拐、監禁される事件があった。
犯人は少女に「お前は捨てられた」などと洗脳して、家に帰るという選択肢を消すよう仕向けていた。(ネットに書いてあることの受け売りなので間違ってるかもしれない)

んで、この漫画の何が炎上したかというと、「誘拐犯と少女が恋愛関係になる」など、事件を肯定するかのような内容でお話が進んでいくのだ。


もちろん、実際に起きた事件は許されるものではない。
ただ、だからといって、元ネタにするなとまで言ってしまうと、創作というものを全て否定してしまうことになりかねないと私は思う。


今回の幸色のワンルームについては、漫画と実際の事件では随分と状況が異なる。
作者も実際の事件を参考にしていない(というのは流石に苦しいと思うので言い訳だと思うが)と言っている通り、外枠として「誘拐犯と少女」を使ってはいるものの、その中身は作者のオリジナルとしてしっかり作られている。中身が面白いかどうかは主観だと思うので何も言わないけど。

別に誘拐犯は少女を強姦もしていないし、監禁すらしていない。少女が家に帰りたいと思わなくなるように洗脳なんてこれっぽっちもしていない。恋愛関係になるというところがけしからんというならば、正確にいうと恋愛関係ですらない。「逃げ切ったら誘拐犯と結婚する。警察に捕まったら死ぬ」という約束をしたというだけだ。
どちらかというと、そう約束せざるを得なかった少女と誘拐犯の歪んだ関係を描いているに過ぎない。

そして何よりも、この漫画。別に誘拐を正当化なんて1つもしていない。第1話で既に少女が誘拐犯と共同生活をすることに「我ながらどうかしてる」と自嘲めいた台詞を吐いている。

これが実際の事件と同じように、誘拐犯が少女を騙くらかして監禁する流れだとしても私は批判はしないだろう。
だって、何も誘拐を肯定してないのだから。そういう流れになるなら必然的に悪として誘拐犯を描くだろうし。

多分批判している人は、外枠だけ見て不謹慎だと嫌悪感を抱いたんだと思う。
でも、それを言われてしまうと創作は成り立たなくなる。


フィクションは毒があるからこそ面白い。
起承転結のない話なんてちっとも面白くない。
大量殺人がある。目を背けたくなるようなシーンがある。
エログロ、倫理的問題、サイコパス
実際の社会ではできないことを、せめて映像や漫画の中で見たいというのは、カタルシスそのものである。

それが名作を生み出すし、心を動かす作品を作る1つの要因にもなる。


まだこの作品は完結していない。
批判するなら、完結して全部内容を読んでからの方がいいんじゃないかなと個人的には思う。


うーん、今回は堅苦しい内容だったな。。。
まぁ難しい話題だとは思うから、私の意見が正しいとは思わない。
1つの解釈として捉えていただければ幸いです。

今更だけどもペルソナ5を語りたい

最近アニメも始まったし、前一周したけどトロコン目指してもう一周しようかなって事でここ数週間土日を全部ゲームにつぎ込んだ暇人は私です。

無事トロコンすることができた(多分生まれて初めてトロコンしたのがこのゲーム)ので、ぼちぼち感想をば書いていこうかなと思う。
たまにはこういう痛くない普通のブログっぽいこともしてこうかなと。


結論から言うと素晴らしいゲームでした。
ここ最近の中では多分頭一つ抜きでてると思う。
ペルソナシリーズ初めてやったにわかだけど、それでも十分楽しめた。


まず知らない人のために簡単に解説しておくと、「ペルソナ」シリーズは(株)アトラスから発売されているRPGシリーズであり、「女神転生」シリーズの派生作品として誕生した。どちらも「悪魔」を駆使して戦うが、「女神転生」シリーズは交渉して仲間にした悪魔を使って戦うのに対して、「ペルソナ」シリーズは自分の中にあるもう1つの自分(ペルソナと呼ばれており、こいつらが悪魔の姿形をしている)を使役するという違いがある。

ゲームの時間的には1年間のお話(3.4もそうらしい)
舞台は学校や街。世界を旅するタイプではなく、その中での謎や事件を解決していくタイプのゲーム。
完全にジョジョ4部だなこーやって書くと。ペルソナ能力も要するにスタンド能力だし。言ってしまえば。


んで、このゲームの何が良かったかっていうと、「RPG」と「ADV」のバランスが凄まじく良かったってところだと思う。

ストーリーをざっくり説明すると

主人公たちは悪党達の心の中に異世界があり、その中の「オタカラ」を奪えば、歪んだ欲望を消し「改心」させることができると知る。

「心の怪盗団」を結成した主人公たちは、世の中の悪党どもを改心させ「世直し」を遂行していく…

という感じだ。所謂ピカレスクロマンというやつだ。
恐ろしく中二くさいけど正直大好物ですコレ。
正体がバレてはいけない中で、陰ながら世の悪を倒していく…ッカーッ!堪りませんわ(にやけ舌打ち)


んで、そーゆーゲームの流れだから異世界に侵入してオタカラを盗まなきゃならないんだけども、そこに期限をきっちり設けている。
例えば、悪党が主人公たちを1ヶ月後に逮捕するならば、改心させる期限は1ヶ月間ということになる。
その間であればどんなことをしても構わない。
友人と遊びに行ったり、異世界とは関係のないことをしたりしてもいい。そこはある意味自由なのだ。

異世界にダンジョン攻略しにいく。そして現実ではいろんな人物と交流を深めていく。そのバランスが最高にいいのだ。

単にダンジョンを先に攻略しちゃえばいいじゃんと思うかもしれないが、仲間と親睦を深めていくことで仲間の能力が上がったり、ダンジョン攻略に有利になるスキルが発動したりする。
だからダンジョン攻略前に出来る限り仲間たちと親睦を深めておきたい。

だけども、単に交流を深めるだけではダメで、交流を深めるためには自分のステータス(バトルのレベルとは別に自己ステータスみたいなのがある。「学力」とか「度胸」とか)を高めていく必要があるのだ。


だから、「今日はダンジョン行こうか…でも、今日この仲間の親睦レベル上がりそうだしな…でもその前にまず自己ステータスあげるのが先かな…」

とうんうん唸りながら計画を立てるのだ。
これがめちゃくちゃ楽しいし、よくできてる。
「バトルのためにアドベンチャーパートをやる」といううまい構図を作り上げている。
なので全くダンジョン攻略を後回しにしても苦にならない。むしろアドベンチャーパートで彼女とか作れるのでそっちに力が注がれていく。ここら辺は日本の良きギャルゲー臭がする。選択肢とかもあるしね。

そして、メインのダンジョン。はじめに説明したが、仲間たちは全員「ペルソナ能力」を使って戦う。まぁスタンドみたいなもんだ。
それには体力とは別に魔力的なものを使って戦うのだが、このゲーム、この部分を回復する手段がほぼない。
回復するにはダンジョンを一旦抜ける(一日に一回しか入れないので必然的に翌日以降になる)か、高額な魔力回復アイテムを使うしかない。それも手に入るのは終盤だ。

なので基本的に一周目は、「魔力が無くなったら撤退」という事態にならざるを得なくなる。
ここがミソで、1日で攻略できないのだ。最低でも複数回ダンジョンに侵入し、前回の続きから探索を進めていく必要がある。
どこまで探索できるか。もちろん少ない日数で探索を終えて仕舞えばその分自由に仲間と親睦を深める機会が増える。その瀬戸際を見極め、ハラハラしながら攻略していくのもなかなかに面白い。

もーちょっといけると思って進んだら、魔力ゼロなのに中ボスが出てきた時の絶望っぷりったらないぞ。

バトルシステムはJRPGのお約束なターン制コマンドバトルで、相手の弱点属性を見極めて攻撃すると大ダメージに繋げることができる。
敵の見た目や、使ってくる技から弱点を推理していけるので、ゆっくり考えながらコマンドを選んで行く。覚えられる技も8種類までであり、レベルが上がって新しく覚える技の取捨選択をしなければならない。ここら辺すごいポケモンっぽい。
単調になりがちなこのシステムだが、果てしなくおしゃれなBGMと演出でそれを感じさせない。

さらに「怪盗」というシステムをうまく使った「バレないように進んで行く」やり方ができるため、うまくやればほぼ敵と戦わずに攻略することもできる。まぁそうするとボスがキツイんだけど。

主人公は複数のペルソナを扱える(基本的に1人1つしかペルソナは持てない)ため、使えるペルソナを増やしていき、ペルソナ図鑑をコンプリートするのもハマる。


そして1番いいなと思ったところは、親睦をマックスまで深めると、そのキャラがストーリーにがっつり絡んでくるというところだ。マックスにしないと見れない演出やイベントがあるため、何が何でも全員の親睦レベルMAXにしたいと思うだろう。

私は二週目で全員MAXにしたが、それで初めて真のエンディングを見た気がした。1週目で達成するのはかなり難しいと思うからやりたい人は頑張って欲しい。



色々システムについてグダグダと書き連ねたが、1番の魅力はストーリーだ。
この話、ゲーム内の半分以上が回想シーンという、凄まじく特殊な構造になっているゲームである。
そして1つネタバレをすると途端に全部のネタバレになってしまうため、是非ともストーリーの前情報を入れずにプレイしていただきたい。
「ずっとやりたかった日本の王道RPG」が体感できると思う。


さて、トロコンしたから、次はどうすれば俺が怪盗になれるか考えることにする
あー、陰ながら世界とか救いてェなぁ…
ぼくに隠された能力とかあったりしませんかね?
とりあえずぼくペルソナ5のアニメ見るんでその間にみんなぼくの隠された能力考えといてな。頼むでホンマ

皮肉る時は難解に。伝える時は安直に。

自己啓発本というものがある。
格言や思考方法を多くの人に伝えるアレだ。

個人的にはあまり読まないが、嫌いというわけではない。
永世七冠を取った羽生さんの本とか、最近読みたいなと思ってたし。
このブログ自体も私自身の考えをポエミスティックに書き連ねているが、啓発本兼エッセイ的な読み口で呼んでくれたらいいなと思って書いているところもある。
(まぁ正直八割くらいはただの自己満だけど、それでも何人か褒めてくれる人がいるので調子に乗って書き続けている。)

ただし、こういう類のものを読むときに絶対に行ってはならないことがある。「思考に飲まれる」ということだ。
わかりやすい例えを挙げてみよう

・心理学の本を読んでから、やたら「〜の法則」とか言っちゃう

・「ブレスト」とか「ロジカル」とか、「PDCA」とか平気で使っちゃう

・格言や名言を引用しまくる(これは僕たまにやっちゃう。反省。)

つまりどういうことか。「意識高い系」の典型的パターンに陥ってしまうということだ。

啓発本を間違った読み方で読んでしまっている人がいる。
その本の主張を鵜呑みにし、思考を完全にそれに寄せてしまう。そこには彼、彼女自身の意見は無く、他人の主張をあたかも自分の考えだと思い込んでしまう。

これは卒論を書くときに陥ってしまいやすい。いろんな文献を漁るうちに自分の意見が統一できなくなって、どこかの主張を切り貼りしたような論文になってしまう。


思考に飲まれてしまった人は、小難しい言葉で説明しがちになる。何故なら本の通りに言えば、それっぽく聞こえるからだ。難解な用語やカタカナで普通のことを言うだけでいかにも高尚なことを言っているように聞こえるのだ。



「本日の会議でペンディングしたものは各チームブラッシュアップしておいて。ローンチまでのアジェンダしっかりね。」

なんて?(感情のピクセルのあの部分に当てはめるとそれっぽいです)


こんな言葉使って分かるわけがない。いや、分かるかもしれないけど果てしなくウザい。

私のモットーとして『皮肉る時は難解に。伝える時は安直に』というのがある。自分で作った。と思う。無意識にどっかからパクってなければ。

人に何かを伝える時には、誰にでも分かるような言葉で伝えなければならない。プレゼンの鉄則だ。
それはきっと、論文だったり、就活だったり、さらには日常で誰かと話をする時にでさえも重要になってくる。

言葉を簡単にするということは、その難しい言葉の本質を理解しなければならない。簡単に説明できる人こそ、本質的にその内容を理解しているということになる。


では何故、皮肉は難解にしなければならないのか。答えは単純。『わからなくていいから』だ。
遠回しに何かを非難するのが皮肉の本質なのだから、多くの人にわかってしまっては意味がない。回りくどくてちょうどいいのだ。


自己啓発本やらハウツー本は、たしかにとてもためになる。ただ、その思考に飲まれてしまうと結局は本質を理解出来ずただただそれっぽい言葉を並べる薄っぺらい人間になってしまう。

思考に飲まれるのではなく、思考を噛み砕くつもりで読んでみる。賛同できる意見でも必ずその逆説を考えてみる。
そうすれば自ずと自分の言葉で啓発本の意見を取り入れることができるだろう。

単純明解。それができる人が実は1番頭のいい人なのかもしれない。

サブカルショートショート「世界平和ウィルス」

「ついに完成したぞ!"世界平和ウィルス"が!」

「やりましたな博士」

「これもあなたの援助があってこそです。感謝してもしきれません」


とある地下の研究室で、博士と富豪は彼らの偉大な研究成果に酔いしれていた。


「これで戦争や紛争。世界中全ての問題が解決される。私を追放した学会の連中も慌てふためくに違いない」

「ええ。あなたの論文を見たとき、私もこれならばと確信しました。意味のない慈善事業の寄付や社会へのアピールに金を使うより、こちらのほうが100倍世のためになる。早速記者会見の準備を進めましょう」

「まぁ、まぁ、慌てなさるな。急いては事を仕損じる。今私が表舞台に出たところで、ろくに取り扱ってももらえないだろう。どうだろう、ここはひとつ、実際の成果を手土産に持っていくというのは」

「と、おっしゃいますと?」

「なに、簡単なことだ。長年領土問題で争っているP国とI国にこのウィルスを散布するのだ。実際に効果が表れたところで、私とあなたが会見を開く。そのあとにまた何件か成功例を実践しなければならないだろうが、初めに成功させているという実績があるのは大きい」

「確かに。わかりました。早速傭兵を雇い、このウィルスを散布することにしましょう」


富豪は紛争地帯に傭兵を派遣させ、ウィルス入りの爆弾をP国とI国に投下した。

空気感染し、繁殖力が強力であったそのウィルスは瞬く間にP国とI国に蔓延した。


「博士!やりました!P国とI国の軍隊が戦闘を放棄したそうです!」

「そうか!ウィルスの効果が証明されたわけだ!早速記者会見を開こう」


会見には世界各国からの報道陣、精鋭の学者たちが参加した。紛争を解決した学者の記者会見という触れ込みは、半信半疑で人々の注目を浴びていた。


「今回の紛争を解決したのはあなたの研究結果ということでよろしいのでしょうか?」


記者が訝しげに質問した。


「いかにも。私が開発した”世界平和ウィルス”の成果であります」


えへんと博士はふんぞり返って答えた。


「すべての争いには「欲」という感情があることが原因であります。『あそこの資源が欲しい』『信仰する宗教の主張を認めさせたい』そのような欲が、すべての争いの原因であります。私が開発したこのウィルスは、そんな人間の欲を抑制する効果を持っているのです」


会場がどよめく。学者たちが配られた論文を血眼で読み漁る。追放した学者の論文が世界的発見であってはならないのだ。


「私がいくら主張したところで、このウィルスが紛争を解決したという証拠になりえないのはわかっております。ですから、ぜひ正式な場でこのウィルスを散布し、効果を立証して頂きたい」


国際連合はこのウィルスを現在解決困難とされている紛争地帯へ散布した。するとどの地域でも、争いが収まっていったのだった。

数か月にわたる調査の末、”世界平和ウィルス”の効力は証明されたのだった。


「やりましたね。博士。大成功です!」


富豪は飛び跳ねて喜んだ。


「散布された地域で全ての争いが停止した。私の研究の正しさが証明されたわけだ。私の名前が歴史に名を刻むのだ!」

「テレビでもこの話題で持ちきりですよ。ほら、見てみてください」


富豪がテレビのスイッチをつけると、どのチャンネルも砂嵐しか映らない。

おかしいなと思っているうちに、電気も止まってしまった。慌てて博士と富豪は研究室から飛び出した。

そこら中で人が倒れている。死んでいるわけではないが、どれも目に光がない。


「博士。一体何が起こっているのでしょうか」

「なんということだ。ウィルスの効果が強すぎたのだ。感染した者の全ての欲を抑制してしまった。食欲や性欲、果てには生きたいという欲さえも抑制してしまったのだ」

「なんということだ…博士!すぐにワクチンを開発しましょう。ウィルスのサンプルはまだ研究室の中にあります。すぐにワクチンをつくれば…!」

「うむ…そうしなければならないのだが…どうもやる気が沸かないのだ」

偏見音楽分類法(再掲)

これは以前別ブログで書いたものをこっちに再掲しているものです。割とお気に入りの回だったのでこっそり載せときます。





連休前の土曜日、私は前バンドも含めかれこれ8年近く追いかけているバンド、バズマザーズのライブに参加した。
3時間半の濃密なセットリストにすっかりやられた私と友人は、そのまま後輩を呼びつけ、朝まで飲み歩きのデスゲームを繰り広げた。酔った私は終始「女を抱きたい。風俗に行きたい」を連呼していたと思うが、恐らく実際に連れて行かれたら私の愚息は元気をなくしてしまうだろう。引っ込み思案なもので。

その話はまた後日たっぷりと書くとして、今日は一つ、「音楽の接し方」について考えてみようと思う。
これを分析することによって、その人にとっていい曲はどんな曲かが大抵わかる。オススメだ。
私が思うに、人が音楽に接するパターンは、大きく分けて3つある。

「ファッション」としての音楽
「ツール」としての音楽
「メンタル」としての音楽

この3つだ。恐らく私は、「ツールよりのメンタル」だと思う。自分で言うのもあれだけども。
1つずつ解説していこう。

「ファッション」としての音楽が好きな人は、大抵まず、音楽自体に大して興味を持っていない、もしくは「イケてるグループ」に属していることが多い。
テレビで流れているJPOPや、流行のバンドをチェックし、カラオケや会話の中でうまく利用する。ただし、興味はないから深くは掘らない。

「逃げ恥」を見てから星野源の曲を聞き始めた(ただし、恋とSUNだけ)とか、そのレベルの人のことを指す。
流行りの曲をしっかりと抑えているので、ウケもよく、周りの会話にもしっかり合わせられる。女子ウケもいいだろう。イケてるグループに入るのは必然である。
こういう人が「なんかオススメの曲ある?」なんて聞いて来た時には要注意だ。そんな人達にマニアックな中毒性の高いバンドなんて進めたところで、何1つ分かり合えない。

そういう人たちが悪いと言っているのではない。音楽に対して感じているスタンスがそもそも違うのだ。
そう言う人達には、「次に売れそうかな」という勢いがあるバンドあたりを進めるのがちょうどいい。
曲調も激しめではなくJPOPよりのラブソングを歌ってそうなあたりだ。
無難なところをついていけばまず外さない。オススメしたところで、恐らくそいつらは気が向いた時にしかその曲を聞こうとは思わない。

では、「ツール」としての人達はどうか。
ここに属する人達に共通するのは一点。「パリピのノリ重視。」これだ。
フェスでみんなと盛り上がれる曲を大いに好む。
面白い曲もみんなに共有して広められるので、ネタ系のバンドでも食いつく。
キュウソネコカミ、ヤバいTシャツ屋さんなどが最近のお気に入り。
もちろんワンオクやSIMはマスト。
パンクキッズが多く分布してるので、激しめの曲でも全く問題ない。むしろモッシュをしたくてライブに行く部類。
あとはEDMもここのジャンルに入るだろう。
クラブで踊れる曲や、会話が盛り上がる曲を大いに好む。よってここに属する人間は友達が多い。

ここにオススメするのは簡単だ。ファッションタイプの進め方に+して、ノリのいい曲、激しめな曲を重点的に勧めれば良い。アニソンにも理解がある層なので、そっち方面から攻めてもいいだろう。
音楽を他者とのコミュニケーションツールとして使用している層なので、幅広く知識を求める傾向にある。よって、1番曲を勧める時にはやりやすい層だ。

そして「メンタル」
ここが1番難しく、奥が深い。
ここまで読めばお気づきだと思うが、この順番は「音楽にのめり込んでいく順番」になっている。
ファッションとして入り、ツールとして興味を抱き、メンタルに落ちて行くのだ。

ここまで来る人達は、どっぷり浸かっているタイプの人間なので、自分からもガンガン発掘している、もしくは1つのバンドをより深く掘り下げていく傾向にある。
音楽を「救済」として受け止めているタイプだ。
よって、イケてない人やメンヘラが圧倒的に多い。
大抵心の中に闇を抱えており、それを音楽で埋めている。歌詞カードやジャケットまで熟読しちゃうタイプだ。
ただ、音楽の真の魅力もまたそこにあるので、そういう人に向けた曲は山ほどある。
不満や鬱屈した感情を吐き出すのがロックであり、パンクなのだから。

こういう人達には、まず曲をオススメするという行為はしない。こちらの知識と相手の知識を共有する(情報交換)だ。
お互いわからなくても話から熱は伝わって来るので、しっかり聴いてくれる。深い人同士だからこそできる面白いやり取りができるのも魅力だ。
さて、3パターンに分けて私が何を言いたかったかといえば、「病めば病むほど音楽はよく聞こえる」ということだ。

幸せな人はまず音楽に救いを求めようとはしない。
自分が今辛いから、助けて欲しいから、だから気持ちを代弁してくれる音楽が沁みるのだ。
音楽は逃避だ。というのが私の持論であり、自分が精神的に落ち込んでいればいるほど、音楽は深く染み入る。逆に、落ちれば落ちるほどいい曲やフレーズが浮かぶ。
バンドマンにクズが多いのは、そのせいかもしれないと私は勝手に思っている。

辛い時には音楽を聴け。そうすれば、わからなかった世界が少し見えて来るかもしれない。

思い出補正もあるけれど2

前回はポプテピピックの感想までだった。
(内容が予想以上のどストライクだったので話が若干気持ち悪くなってしまったのはお詫びします。)

ただ、ここからさらに気持ち悪くなるぞ。覚悟して読めよ。


さぁ、「カードキャプターさくらクリアカード編」の話に移ろう。

多くの大きなお友達を生み出した90年代アニメの怪物。いや、怪獣。
まだ「オタク」や「萌え」という概念すら浸透していなかったあの時代に「NL」「BL」「ショタ」「百合」「ケモナー」「ロリ」「魔法少女」と、ありとあらゆる現在のジャンルをブチ込みまくる。

しかも天下のNHK。潤沢な予算をこれでもかとつぎ込んだ作画のクオリティ。ストーリーはCLAMP(全盛期)。そこに乗っかる菅野よう子の素晴らしい楽曲。「プラチナ」のコード進行については僕ものすごく語れるのでここでは触れないでおくけども。

2chではさくら関連のスレが立ち過ぎた結果、専用板として「CCさくら板」までもが作られる始末。


…とまぁこれでもかとばかりにいろいろな要素を詰め込みまくった作品であり、90年代アニメを語るには外すことはできないだろう。正直そんなに内容詳しくないけど。
ちょっと調べればいくらでも出てくるしねこの辺りのエピソードは。


個人的には、本当に小さい時(小学校低学年だと思う)に、NHK教育.BSを食い入るように見ていたあの時に。強烈に印象に残ったアニメだったというのだけは間違いない。さくらちゃんかわいかったし。ケロちゃんの声好きだったし。ハッチポッチステーションおじゃる丸フルハウス忍たま乱太郎天才テレビくん、ビットランド…あの時のNHKは最高だった…

脱線しかけたので話を元に戻そう。
高校生になり、アニメにハマって色々掘り返して行くうちに、「そういえば俺カードキャプターさくらめっちゃ見てたな」と過去と現在の自分がリンクした気がした。
音楽に興味を持ち始めたところから菅野よう子を知り、それが「プラチナ」を作っていた。自分が小さい頃に好きだったあの歌が、やっぱり名曲としてきちんと評価されていた。

「自分がいいと思っていたものがきちんと評価されていた」ということが、ものすごく快感だった。
俺は間違ってなかったんだ!的なね。


それが。新作で、しかもリメイクでなく。ストーリーから何から完全新作で。キャストも全く同じで。演技も変わらず。レリーズの部分なんかやばいよね(声優になりてぇ)
泣くに決まってるじゃないですかこんなん。

唯一ちょっと心配してたのがOPだったけれど、坂本真綾は続投。菅野よう子さんじゃなかったのは残念だけど、その分水野さんがすごくいい仕事をしてくれた。ちゃんと「それっぽさ」を出しつつ、いきものがかりのいいところのエッセンスもしっかり入れている。

なによりもあのOPのアニメーション。プラチナからの続きだろと言わんばかりの演出。最高。本当に最高。
作画も従来の絵柄を踏襲しつつ、パステル基調の配色で今っぽい絵柄にしっかりとアレンジされている。
ポプテピピックインパクトにかすみがちではあるが、これも十分覇権を取れる作品になるだろう。

先日、大学時代からの後輩と飲んだ時にちょうどカードキャプターの話になった。
「1話見て懐かしいなとは思ったんですけど、今見ると恥ずかしくてちゃんと見れないんです」
おそらく、幼少期にこのアニメを見ていた人はほとんど同じ感想になると思う。実際私もそうだ。

いくらいろんな要素を詰め込んでいるとはいえ、基本的には子供向けに作られた作品であることは間違いない。
当時はなんの違和感もなく見ていた我々も、今さくらちゃんと小狼君のイチャつきっぷり、青くささを見ると、正直小っ恥ずかしくてやってられないと言うのが正直な感想だろう。(なーにが数学とお友達になるの!だよそんな中学生いねーよイタいイタいイタい!と、こんな私でさえも正直思った)

これは「成長」だ。大きくなった私達は、いろいろなことを経験してきた。当時に比べて本当にいろんな事があっただろうし、それなりに恋だの愛だの経験してきている。

ある意味で汚れてしまった(あえてこの言い方を言うけど)私達には、彼女らの甘酸っぱさに耐えきれないのだ。
そんなにうまくいくはずがないことを知ってしまったから。

それでも、その甘酸っぱさを噛み締めて見てほしい。
時折感じる切なさを。ノスタルジーを。あの時の自分に重ねて見てほしい。
大人になった僕達が、大人になろうとしている物語を、大人になる前と後で見比べる事ができる。こんな体験はなかなか出来ない。と、私は思う。

魔法なんかあるわけない。世界なんか救えない。
運命はいいことばかりじゃないし意中の人と両想いになんてなかなかなれない。
当たり前のことだけど、それでもあの時の僕達は、彼(彼女)に憧れ、自分もいつかそんな体験をしたいと思っていただろう。

その時の気持ちを、忘れかけていたあの気持ちを、なんとなく思い出させてくれる。
そんな素晴らしいアニメだなと、私は思っている。





それっぽいこと言ったけど僕は小狼君になりたいし、さくらちゃんと一緒にお弁当食べたい(真顔)
なんで僕はカードキャプターじゃないんだよ!こんな世界おかしいよ!!!!いい加減にしろ!!!!!!!!!世界滅びろ!!!!!!!!

思い出補正もあるけれど

濃い内容のブログをブチかまそうかと思っていたが、その前にどうしてもまとめておきたい事があったのでまずはそちらを新年1発目としたい。

もともと、僕はそんなにアニメを見る方ではない。
ただ、気に入ったもの(アニメだけじゃないけど)をびっくりするくらい繰り返し見続ける悪癖があるので、気に入ったものに関してはとことん詳しくなる。水曜どうでしょうしかり。ラーメンズしかり。アニメで言えばらき☆すたハルヒあたりはもう引くほど繰り返し見た。高校の時。

幼少期からその悪癖は健在であり、「となりのトトロ」に関してはセリフ全部覚えて1人で味噌汁と白飯をかっ込み、

父「もう友達ができたのか」
メイ「さーつきちゃーんだって!」
さつき「うん!みっちゃんって言うの!」

メシをかっ込む

さつき「行って来まーす」
父、メイ「「いってらっしゃーい」」

と言って玄関をバタバタと出て行く1人トトロごっこをやっていた。もちろん家族には白い目で見られていたことは言うまでもない。


幼少期の痛い話はさておいて、元来アニメを自分から掘ることをあまりしない私は、社会人になってから忙しさも相まって全くアニメを見ない生活を送っていた。サブカルおじさんとしてあるまじき行為である。

ただ、今期に関しては話は別だった。

ポプテピピック」そして、
カードキャプターさくらクリアカード編」

後者の話は後でするが、「ポプテピピック」は前々から原作を読んでとても気に入っていた作品だったので、アニメになるのを楽しみ半分怖さ半分で待っていた。

だって…ねぇ…?あのクソ4コマ。アニメにするの無理があるじゃんねぇ…?ストーリーに繋がりもクソも何もないしねぇ…?

結論から言えば杞憂だった。いや、想像以上のとんでもないものを見せられてしまった。

あの手のアニメは、ギャグマンガ日和よろしく、FRASHアニメくらいのクオリティで畳み掛けるようなアフレコをするしかおもしろくする方法がないと思っていたが、それを見事に裏切ってくれた。それ以上のクソを提供してくれた。

恐ろしく好みが分かれる作品だろうことは言うまでもない。
色んなところからパクリにパクリまくったネタがわかる人、声優にある程度詳しく、声だけで誰かわかる(他作品でやってる役がわかる)人にはどストライクだろうが、それ以外の人は理解できないところも多いだろう。

ターゲティングのどストライクゾーンが、
「サブカルクソ野郎」「サブカルクソ女」
に設定されているのだ。

それがどういうことかわかるだろうか?


そう、僕にどストライクだったのである。


無駄に豪華すぎる声優のキャスティング、1話30分という概念を覆す15分×2回。しかも内容同じで声だけキャスト変えて撮りなおしてる。
そして、全部わかるかと言わんばかりなパロディの連打。

アニメなのにガーディアンズオブギャラクシーのパロ出して来たのには驚いた。本当に多方面把握してないと全部のパロはわかんないと思う。

銀魂や、勇者ヨシヒコが好きなら間違いなく気にいるだろう。パロディの元ネタを調べ始めたら、ようこそサブカルパークへ。君もこっち側の仲間入りだ。

長くなったのでカードキャプターさくら編はまた次回。
新年から別な意味で濃い内容になってしまった。