徒然サブカル随筆

気の向くままにサブカルについて綴ります

追いかける「夢」縛られる「夢」

私が大学受験に失敗し、失意の底で入った大学で1番心に残った授業は「哲学」である
別に教授のお世辞にも中立とは言えない偏った思考に同意したわけではない。
ただ、彼の何気なく吐き出した一言が、私の心に強く響いた。


「夢は諦めても構わない」


ありとあらゆる創作物、ドキュメンタリーで中心に置かれるテーマの一つが「夢」だ。
サクセスストーリーからおとぎ話に至るまで、夢を実現させることは素晴らしいことであり人を感動させる力がある。

テレビをつければJPOPが夢を歌い、ドラマが夢を追いかける若者を流している。

 

ただ、私はいつも疑問に思う。

夢を諦めることは、悪いことなのだろうか?

 

例えば私は、バンドマンになりたい。今でもそう思っている。

しかしまともな生活は送りたい。バイト生活なんて真っ平ゴメンだ。

だから私は働きながら、趣味としてバンドを始めている。パソコンで音楽を編集し、動画サイトに投稿しようかなとも思っている。

 

そこそこに収入もあり、音楽も楽しめている。自分がやりたいと思ったことはできている環境にある。

しかし、バンドマンにならなかった私は夢を諦めたのだろうか?不幸なのだろうか?

少なくとも、私は自分を不幸だとは思っていない。

 

多くの人が夢破れて社会に出ている。

そんな人達が羨み憧れているのが「夢追い人」なのだ。一握りの成功者を、人は羨んでしまうのだ。

そんな夢の呪縛に縛られているのではないか?

夢を叶えるために未来の選択肢をそれ一本に絞るというのは、とてもリスキーなことである。

 

夢を持つのは構わない。ただその夢の対象を1つに固定する必要はない。

途中で乗り換えて別な夢を追いかけたっていいのだ。もちろん、夢の追いかけ方を変えたって構わない。

岡村靖幸もこう歌っている。

「寂しくて悲しくて辛いことばかりならば、あきらめて構わない大事なことはそんなんじゃない」

 

夢を追いかけるあまりに辛い思いをするのならば、そんな夢は必要ない。もっと大切なことが他にもあるはずだ。

 

私が夢見た志望校の試験に落ち、失意の底で入った大学は、私にとってかけがえのない4年間だった。

諦めたことで手に入れた幸福が、そこには確かにあったのだ。