徒然サブカル随筆

気の向くままにサブカルについて綴ります

皮肉る時は難解に。伝える時は安直に。

自己啓発本というものがある。
格言や思考方法を多くの人に伝えるアレだ。

個人的にはあまり読まないが、嫌いというわけではない。
永世七冠を取った羽生さんの本とか、最近読みたいなと思ってたし。
このブログ自体も私自身の考えをポエミスティックに書き連ねているが、啓発本兼エッセイ的な読み口で呼んでくれたらいいなと思って書いているところもある。
(まぁ正直八割くらいはただの自己満だけど、それでも何人か褒めてくれる人がいるので調子に乗って書き続けている。)

ただし、こういう類のものを読むときに絶対に行ってはならないことがある。「思考に飲まれる」ということだ。
わかりやすい例えを挙げてみよう

・心理学の本を読んでから、やたら「〜の法則」とか言っちゃう

・「ブレスト」とか「ロジカル」とか、「PDCA」とか平気で使っちゃう

・格言や名言を引用しまくる(これは僕たまにやっちゃう。反省。)

つまりどういうことか。「意識高い系」の典型的パターンに陥ってしまうということだ。

啓発本を間違った読み方で読んでしまっている人がいる。
その本の主張を鵜呑みにし、思考を完全にそれに寄せてしまう。そこには彼、彼女自身の意見は無く、他人の主張をあたかも自分の考えだと思い込んでしまう。

これは卒論を書くときに陥ってしまいやすい。いろんな文献を漁るうちに自分の意見が統一できなくなって、どこかの主張を切り貼りしたような論文になってしまう。


思考に飲まれてしまった人は、小難しい言葉で説明しがちになる。何故なら本の通りに言えば、それっぽく聞こえるからだ。難解な用語やカタカナで普通のことを言うだけでいかにも高尚なことを言っているように聞こえるのだ。



「本日の会議でペンディングしたものは各チームブラッシュアップしておいて。ローンチまでのアジェンダしっかりね。」

なんて?(感情のピクセルのあの部分に当てはめるとそれっぽいです)


こんな言葉使って分かるわけがない。いや、分かるかもしれないけど果てしなくウザい。

私のモットーとして『皮肉る時は難解に。伝える時は安直に』というのがある。自分で作った。と思う。無意識にどっかからパクってなければ。

人に何かを伝える時には、誰にでも分かるような言葉で伝えなければならない。プレゼンの鉄則だ。
それはきっと、論文だったり、就活だったり、さらには日常で誰かと話をする時にでさえも重要になってくる。

言葉を簡単にするということは、その難しい言葉の本質を理解しなければならない。簡単に説明できる人こそ、本質的にその内容を理解しているということになる。


では何故、皮肉は難解にしなければならないのか。答えは単純。『わからなくていいから』だ。
遠回しに何かを非難するのが皮肉の本質なのだから、多くの人にわかってしまっては意味がない。回りくどくてちょうどいいのだ。


自己啓発本やらハウツー本は、たしかにとてもためになる。ただ、その思考に飲まれてしまうと結局は本質を理解出来ずただただそれっぽい言葉を並べる薄っぺらい人間になってしまう。

思考に飲まれるのではなく、思考を噛み砕くつもりで読んでみる。賛同できる意見でも必ずその逆説を考えてみる。
そうすれば自ずと自分の言葉で啓発本の意見を取り入れることができるだろう。

単純明解。それができる人が実は1番頭のいい人なのかもしれない。