徒然サブカル随筆

気の向くままにサブカルについて綴ります

不幸は創作の種

半年くらい更新をさぼってしまった。
リアルが充実すると創作活動がおざなりになる説は割と的を得ていると思う。
仕事面でもプライベート面でも、大きな変化があったための更新頻度の激減でした。まずはお詫び申し上げます(自分の趣味で書いてるから更新頻度もクソもないのだが)

今後は月一ペースに戻せるといいな。新しくTwitterのアカウントも作ったので積極的に記事の宣伝とかやってみようかとも模索中だ。よろしければフォローをば願います。

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無事齢を一つ積み重ねたところで、今回のテーマ。「幸せな人は創作活動ができるのか問題」だ。

絵にしろ、小説にしろ、音楽にしろ、何かしら「創作活動を行う人間は必ずその人間の根本にある、「ある意識」が元になっている。

「認められて、有名になりたい」という、人間が人間たるゆえんの感情。「承認欲求」だ。


自分だけで趣味で細々とやる人も中にはいるだろうが、多くの人は自分の作品を他社から評価してもらいたいという欲求を持っている。
ネットに自分の作品を掲載しているということは、つまりはそういうことである。もちろん私も例外ではない。

その承認欲求は、自分に満足してしまうと途端にその欲求を失ってしまう。
そんなことをしなくても十分自分は認められている、と感じることができれば、作品など発表する理由がなくなるからだ。

仕事で、恋愛で、自分が今幸せだと感じているならば、わざわざ哲学書なんて読まないし、失恋ソングなんて聞く必要ないのだ。

その感情が、創作活動を阻害してしまう。作品を作るモチベーションがなくなる。俗っぽい私みたいな人間ならばなおさらだ。
だが、生まれてからずっと幸福な人間なんているだろうか?必ずつらいとき、苦しいときが人生の中であったはずだ。

その時感じた孤独や怒り、羨望や嘲笑の感情を、私は常に持ち続けて生きていたいと思っている。
自分に今彼女がいようが、まともにモテた試しなどないのだから、イケてる男に向ける殺意を正当な感情であると思い続けていきたいのだ。

南海キャンディーズの山里が結婚記者会見でも言っていた
「結婚したからといっても、今後もモテてる奴はむかつくと思いますし、毒も吐くと思います」
この気持ちを忘れずに持っていたい。

今までの自分が感じた気持ちを風化させずに、同じ境遇のどこかの誰かに伝わるようなものを作りたいと思う。

更新頻度は少なくなるかもしれない。いつか書かなくなるかもしれない。
でも、それでも過去の痛みを忘れて生きるようなダサい生き方はしたくない。

と、いうことでこれからもこのブログでは私の捻くれあがった感情をあたりにまき散らすような文章を書いていきます。
新しいバンドの紹介とかも、まだまだしたいしね。

コメントや私のツイッターに、今後のブログのお題など書いてくれると、たぶん更新頻度爆上がりするので、こういうの聞きたいというもの好きな方がいればぜひ教えていただきたい。

とりあえず次回は、復活前にNUMBER GIRLを総ざらいする記事を書きます。
私の青春の音楽を全部ぶつけてやる。覚悟しとけ。