徒然サブカル随筆

気の向くままにサブカルについて綴ります

時には昔の話を

最近ちょくちょくと「ブログ見てるよ」と言ってもらえることが増えた。
言ってくれる人たちに共通してるのは、みんな隠れキリシタン並みにこっそりと言ってくれるという点である。
みてるなら堂々とコメントなりなんなりしてくれ。ただし私に会った時にその話題をリアルに持ち出したら私はイタさのあまり発狂するので。そこんとこよろしく。

まぁ痛いから堂々と言えないのはすごくよくわかる。でもそれを伝えてくれるのはとても嬉しいし、共感してくれてる人もいるっていうことがわかって調子乗ってるのでまた書いちゃう。

と、言っても今回は哲学チックな話ではない。
このブログのタイトル通り、サブカルについてつらつら書き連ねていこうかと思う。
今回は『素質』についてのお話だ。


サブカルにのめり込む素質、というものがあると私は勝手に考えている。
それは「ディグる」ことに楽しみを見いだせるかどうかだと思う。

例えば好きなアニメがあったとする。その中のギャグで他作品のパロディが出てきた。
そこでそれをスルーしてしまうのか、そのパロディ元のアニメをチェックするのか。ここがポイントになる。

私の場合は「らき☆すた」だった。
らき☆すた自体にハマったかといえば正直微妙なのだが、あの作品はハルヒネタ(てか声優ネタ)が多かった。

そのネタがわかればこのギャグの面白さがわかるかもしれない。そう思ってハルヒを見たのが間違いの始まりだったかもしれない。

もともと小さい頃から吹き替えの海外ドラマやアニメを見まくっていたので、乱太郎がコナン。きり丸がルフィ、クリリン。しんべえがマスオくん。なんていうことを気づいて周りの友達に自慢していた。
そう考えると忍たまって声優豪華だよな恐ろしいくらいに。

その次は音楽だ。バンプにハマった。ラッドにハマった。アジカンにハマった。エルレの復活でこないだ泣いた。
そこからそれぞれのアーティストがリスペクトしてるバンド。影響を受けたバンドなどをどんどん掘り下げて知識をつけていくのが楽しくてしょうがなかった。


1つ例を挙げてみよう。KinKi Kidsの『硝子の少年』名曲だね。
この曲は山下達郎が作曲、作詞は松本隆である。
山下達郎は名前くらいなら知ってるけど、松本隆って誰?」
と言う人が大半だろう。そして大半の人はそこで追うことをやめる。
じゃあ試しに松本隆を追ってみよう。
どうやら松本隆は「はっぴぃえんど」というバンドをやっていたらしい。解散後、作詞家として色んなアーティストの作詞を手がけている。「ロマンチックが止まらない」「木綿のハンカチーフ」「赤いスイートピー」……アニソン好きな人なら「星間飛行」の作詞といえばおぉ!となるだろう。

凄まじい名曲たちの作詞をしているすごい人なのはわかった。じゃあ、その人が組んでた『はっぴぃえんど』ってどんなバンドなんだろう?

調べてみると、日本語ロックの先駆けであり、大瀧詠一君は天然色という曲をYouTubeで聴いてみるといい。絶対知ってるから)、細野晴臣(その後坂本龍一らとYMO結成)など、錚々たるメンバーが並んでいる。そんなレジェンドたちがバンド組んでたんだ!すげー!

ってな具合で、掘り下げれば掘り下げるほど色々なことがつながってくる。昔聴いてたあの曲がこの人の作詞だったとか、この人の前のバンドだったとか、そういう発見があるのがとても楽しい。

ちなみに日本語ロックというのをはっぴぃえんどが創り出したが、『日本語で歌ってるのに英語に聞こえる(ダブルミーニング)』を確立させたのは桑田佳祐であり、『1つの音に複数の言葉を詰める』ことを開発したのはミスチルの桜井だったりする。

今だに活動を続けている大物アーティストは、偉大な功績を残してるからこそレジェンド足り得るのだ。


今までの文章を読んで、『おもしれー!もっと知りたい!』と思えたらそれはサブカルの才能があると私は思う。
別に音楽じゃなくたっていい、映画やスポーツ、ミリタリーや歴史だって構わない。それら全てひっくるめてサブカルチャーなんだから。

正直この知識をつけたところで、為になるかといえば全くならない。仕事に役に立つわけもなく、そんな事やってるなら勉強しろと言われてしまえばごもっともである。


サブカルチャーは役には立たない。
だけど、その人の人生を少しだけ豊かにすることはできる。
娯楽って、そういうものであるべきだと私は思う。
(今回のタイトルみてピンときた人はジブリ大好き人間だからね。そーゆーわかる人だけわかるネタ仕込めるのもサブカルの良さだよね)

試しに自分の好きなモノについてちょっと本気で調べてみるといい。意外とのめり込むかもしれないですよ?

デイ・ドリーム・ヘイフィーバー

私は春が嫌いだ。
具体的に言うと4.5月の晴れの日が嫌いだ。

桜舞い散る中に忘れた記憶が戻ってきたりはしないし、冬の寒さに打ちひしがれてない。刹那に散りゆく運命でもないし、そういう夢なら一度も見たくない。

春にこっぴどい失恋したとか、先ほどつらつら書き連ねた春関連の歌の歌詞が嫌いだとか、そういうことでもない。


I have hay fever.
つまりは花粉症だからである。


私が患っているのは、北海道民の半数が罹患しているという『シラカバ花粉症』だ。
本州にいた時にはなぜかスギ花粉の時期に風邪をひいて鼻水がダラダラだったけども、それはあくまで風邪だからね。誰が何と言おうとゼッテー認めないから俺。

さて、このシラカバ花粉。毎年この時期になると途端にせっせと花粉という名の子種を撒き散らして受粉しようとしやがる。
北海道は残念なことに、街中でもそこら中にこの木がニョキニョキと生えているのである。全くもって忌々しい。

この花粉、私だけかもしれないが、目にかなりのダメージを与えてくる。あっかんべーした目の裏側がすっかりかぶれてブツブツになってしまうのだ。
半端なくかゆいしもちろんコンタクトなんてつけられない。

鼻をかみすぎて鼻の中の血管が浮き出てしまい、風呂に入っただけでダラダラと鼻血が出て来る。最終的には耳鼻科に行って鼻の血管を焼いて止めてもらう始末。

おまけにこの花粉。バラ科の果物が食べられなくなるという致命的な弊害がついてくる。口腔アレルギーも併発してしまうのだ。
なので私はリンゴやイチゴ、桃や梨を食べることができない。まぁ加熱すれば食えるのだが、基本生食ができない。


という、本当に踏んだり蹴ったりの花粉なのだ。
マジで本当にこの花粉を撲滅したいのだが、まぁそんな訳にもいかないので、事前に対策をすることでなんとか毎年の春を凌いでいる。


これを見ている人で花粉症で苦しんでいる人がいるなら、事前から薬を飲んでおくことを強くお勧めする。
薬局で買うやつじゃなくてちゃんと耳鼻科で貰えるやつね。今の耳鼻科、目薬とかももらえるからね。
まだ花粉が飛び始める前から薬を飲んでおくと、身体の中に抗体ができて症状が劇的に緩和するのだ。

それでも花粉が多い時には辛いので、昼間にボーッとしてしまう時もある。
そのせいかどうか分からないけども、この時期になると夜悪夢を見る確率が倍増するのだ。
オバケが追いかけて来る夢。しかも自分はスローモーションで思い通りに動けない。全く違う夢を見ていても、夢の中で自分一人きりになった途端にこのパターンの夢に繋がるからタチが悪い。

そんなわけですっかり寝不足の私は、仕事中に花粉が滅びる白昼夢を見て、ボーッとするなと怒られてしまうのだった。
(花粉症って英語でなんていうんだろうって調べたらhay fever で、『じゃぁ昼間に花粉でボーッとしちゃうのってデイ・ドリーム・ヘイフィーバーやん!ヤベェ歌のタイトルっぽいし上手いこと言えてる俺天才か?』って思って書いただけの記事です)

毒も皿まで食らえば美味

「幸色のワンルーム」という漫画がある。
今度実写映画になるらしい。ジャニーズ主演で。
まぁ実写映画の方は正直あまり興味はないのだが、漫画は個人的に読んでいた。


何気なく「幸色のワンルーム」で検索してみたら、何故か炎上のタグが付いていて、そこでこの漫画を巡る騒動を知った。

この漫画、「実際にあった事件」を元ネタに作られていると思わざるを得ない時期にネット上で発表された漫画であった。(作者は関連性を否定している)

この漫画がネットに発表される数ヶ月前に、埼玉で少女が2年間誘拐、監禁される事件があった。
犯人は少女に「お前は捨てられた」などと洗脳して、家に帰るという選択肢を消すよう仕向けていた。(ネットに書いてあることの受け売りなので間違ってるかもしれない)

んで、この漫画の何が炎上したかというと、「誘拐犯と少女が恋愛関係になる」など、事件を肯定するかのような内容でお話が進んでいくのだ。


もちろん、実際に起きた事件は許されるものではない。
ただ、だからといって、元ネタにするなとまで言ってしまうと、創作というものを全て否定してしまうことになりかねないと私は思う。


今回の幸色のワンルームについては、漫画と実際の事件では随分と状況が異なる。
作者も実際の事件を参考にしていない(というのは流石に苦しいと思うので言い訳だと思うが)と言っている通り、外枠として「誘拐犯と少女」を使ってはいるものの、その中身は作者のオリジナルとしてしっかり作られている。中身が面白いかどうかは主観だと思うので何も言わないけど。

別に誘拐犯は少女を強姦もしていないし、監禁すらしていない。少女が家に帰りたいと思わなくなるように洗脳なんてこれっぽっちもしていない。恋愛関係になるというところがけしからんというならば、正確にいうと恋愛関係ですらない。「逃げ切ったら誘拐犯と結婚する。警察に捕まったら死ぬ」という約束をしたというだけだ。
どちらかというと、そう約束せざるを得なかった少女と誘拐犯の歪んだ関係を描いているに過ぎない。

そして何よりも、この漫画。別に誘拐を正当化なんて1つもしていない。第1話で既に少女が誘拐犯と共同生活をすることに「我ながらどうかしてる」と自嘲めいた台詞を吐いている。

これが実際の事件と同じように、誘拐犯が少女を騙くらかして監禁する流れだとしても私は批判はしないだろう。
だって、何も誘拐を肯定してないのだから。そういう流れになるなら必然的に悪として誘拐犯を描くだろうし。

多分批判している人は、外枠だけ見て不謹慎だと嫌悪感を抱いたんだと思う。
でも、それを言われてしまうと創作は成り立たなくなる。


フィクションは毒があるからこそ面白い。
起承転結のない話なんてちっとも面白くない。
大量殺人がある。目を背けたくなるようなシーンがある。
エログロ、倫理的問題、サイコパス
実際の社会ではできないことを、せめて映像や漫画の中で見たいというのは、カタルシスそのものである。

それが名作を生み出すし、心を動かす作品を作る1つの要因にもなる。


まだこの作品は完結していない。
批判するなら、完結して全部内容を読んでからの方がいいんじゃないかなと個人的には思う。


うーん、今回は堅苦しい内容だったな。。。
まぁ難しい話題だとは思うから、私の意見が正しいとは思わない。
1つの解釈として捉えていただければ幸いです。

今更だけどもペルソナ5を語りたい

最近アニメも始まったし、前一周したけどトロコン目指してもう一周しようかなって事でここ数週間土日を全部ゲームにつぎ込んだ暇人は私です。

無事トロコンすることができた(多分生まれて初めてトロコンしたのがこのゲーム)ので、ぼちぼち感想をば書いていこうかなと思う。
たまにはこういう痛くない普通のブログっぽいこともしてこうかなと。


結論から言うと素晴らしいゲームでした。
ここ最近の中では多分頭一つ抜きでてると思う。
ペルソナシリーズ初めてやったにわかだけど、それでも十分楽しめた。


まず知らない人のために簡単に解説しておくと、「ペルソナ」シリーズは(株)アトラスから発売されているRPGシリーズであり、「女神転生」シリーズの派生作品として誕生した。どちらも「悪魔」を駆使して戦うが、「女神転生」シリーズは交渉して仲間にした悪魔を使って戦うのに対して、「ペルソナ」シリーズは自分の中にあるもう1つの自分(ペルソナと呼ばれており、こいつらが悪魔の姿形をしている)を使役するという違いがある。

ゲームの時間的には1年間のお話(3.4もそうらしい)
舞台は学校や街。世界を旅するタイプではなく、その中での謎や事件を解決していくタイプのゲーム。
完全にジョジョ4部だなこーやって書くと。ペルソナ能力も要するにスタンド能力だし。言ってしまえば。


んで、このゲームの何が良かったかっていうと、「RPG」と「ADV」のバランスが凄まじく良かったってところだと思う。

ストーリーをざっくり説明すると

主人公たちは悪党達の心の中に異世界があり、その中の「オタカラ」を奪えば、歪んだ欲望を消し「改心」させることができると知る。

「心の怪盗団」を結成した主人公たちは、世の中の悪党どもを改心させ「世直し」を遂行していく…

という感じだ。所謂ピカレスクロマンというやつだ。
恐ろしく中二くさいけど正直大好物ですコレ。
正体がバレてはいけない中で、陰ながら世の悪を倒していく…ッカーッ!堪りませんわ(にやけ舌打ち)


んで、そーゆーゲームの流れだから異世界に侵入してオタカラを盗まなきゃならないんだけども、そこに期限をきっちり設けている。
例えば、悪党が主人公たちを1ヶ月後に逮捕するならば、改心させる期限は1ヶ月間ということになる。
その間であればどんなことをしても構わない。
友人と遊びに行ったり、異世界とは関係のないことをしたりしてもいい。そこはある意味自由なのだ。

異世界にダンジョン攻略しにいく。そして現実ではいろんな人物と交流を深めていく。そのバランスが最高にいいのだ。

単にダンジョンを先に攻略しちゃえばいいじゃんと思うかもしれないが、仲間と親睦を深めていくことで仲間の能力が上がったり、ダンジョン攻略に有利になるスキルが発動したりする。
だからダンジョン攻略前に出来る限り仲間たちと親睦を深めておきたい。

だけども、単に交流を深めるだけではダメで、交流を深めるためには自分のステータス(バトルのレベルとは別に自己ステータスみたいなのがある。「学力」とか「度胸」とか)を高めていく必要があるのだ。


だから、「今日はダンジョン行こうか…でも、今日この仲間の親睦レベル上がりそうだしな…でもその前にまず自己ステータスあげるのが先かな…」

とうんうん唸りながら計画を立てるのだ。
これがめちゃくちゃ楽しいし、よくできてる。
「バトルのためにアドベンチャーパートをやる」といううまい構図を作り上げている。
なので全くダンジョン攻略を後回しにしても苦にならない。むしろアドベンチャーパートで彼女とか作れるのでそっちに力が注がれていく。ここら辺は日本の良きギャルゲー臭がする。選択肢とかもあるしね。

そして、メインのダンジョン。はじめに説明したが、仲間たちは全員「ペルソナ能力」を使って戦う。まぁスタンドみたいなもんだ。
それには体力とは別に魔力的なものを使って戦うのだが、このゲーム、この部分を回復する手段がほぼない。
回復するにはダンジョンを一旦抜ける(一日に一回しか入れないので必然的に翌日以降になる)か、高額な魔力回復アイテムを使うしかない。それも手に入るのは終盤だ。

なので基本的に一周目は、「魔力が無くなったら撤退」という事態にならざるを得なくなる。
ここがミソで、1日で攻略できないのだ。最低でも複数回ダンジョンに侵入し、前回の続きから探索を進めていく必要がある。
どこまで探索できるか。もちろん少ない日数で探索を終えて仕舞えばその分自由に仲間と親睦を深める機会が増える。その瀬戸際を見極め、ハラハラしながら攻略していくのもなかなかに面白い。

もーちょっといけると思って進んだら、魔力ゼロなのに中ボスが出てきた時の絶望っぷりったらないぞ。

バトルシステムはJRPGのお約束なターン制コマンドバトルで、相手の弱点属性を見極めて攻撃すると大ダメージに繋げることができる。
敵の見た目や、使ってくる技から弱点を推理していけるので、ゆっくり考えながらコマンドを選んで行く。覚えられる技も8種類までであり、レベルが上がって新しく覚える技の取捨選択をしなければならない。ここら辺すごいポケモンっぽい。
単調になりがちなこのシステムだが、果てしなくおしゃれなBGMと演出でそれを感じさせない。

さらに「怪盗」というシステムをうまく使った「バレないように進んで行く」やり方ができるため、うまくやればほぼ敵と戦わずに攻略することもできる。まぁそうするとボスがキツイんだけど。

主人公は複数のペルソナを扱える(基本的に1人1つしかペルソナは持てない)ため、使えるペルソナを増やしていき、ペルソナ図鑑をコンプリートするのもハマる。


そして1番いいなと思ったところは、親睦をマックスまで深めると、そのキャラがストーリーにがっつり絡んでくるというところだ。マックスにしないと見れない演出やイベントがあるため、何が何でも全員の親睦レベルMAXにしたいと思うだろう。

私は二週目で全員MAXにしたが、それで初めて真のエンディングを見た気がした。1週目で達成するのはかなり難しいと思うからやりたい人は頑張って欲しい。



色々システムについてグダグダと書き連ねたが、1番の魅力はストーリーだ。
この話、ゲーム内の半分以上が回想シーンという、凄まじく特殊な構造になっているゲームである。
そして1つネタバレをすると途端に全部のネタバレになってしまうため、是非ともストーリーの前情報を入れずにプレイしていただきたい。
「ずっとやりたかった日本の王道RPG」が体感できると思う。


さて、トロコンしたから、次はどうすれば俺が怪盗になれるか考えることにする
あー、陰ながら世界とか救いてェなぁ…
ぼくに隠された能力とかあったりしませんかね?
とりあえずぼくペルソナ5のアニメ見るんでその間にみんなぼくの隠された能力考えといてな。頼むでホンマ

皮肉る時は難解に。伝える時は安直に。

自己啓発本というものがある。
格言や思考方法を多くの人に伝えるアレだ。

個人的にはあまり読まないが、嫌いというわけではない。
永世七冠を取った羽生さんの本とか、最近読みたいなと思ってたし。
このブログ自体も私自身の考えをポエミスティックに書き連ねているが、啓発本兼エッセイ的な読み口で呼んでくれたらいいなと思って書いているところもある。
(まぁ正直八割くらいはただの自己満だけど、それでも何人か褒めてくれる人がいるので調子に乗って書き続けている。)

ただし、こういう類のものを読むときに絶対に行ってはならないことがある。「思考に飲まれる」ということだ。
わかりやすい例えを挙げてみよう

・心理学の本を読んでから、やたら「〜の法則」とか言っちゃう

・「ブレスト」とか「ロジカル」とか、「PDCA」とか平気で使っちゃう

・格言や名言を引用しまくる(これは僕たまにやっちゃう。反省。)

つまりどういうことか。「意識高い系」の典型的パターンに陥ってしまうということだ。

啓発本を間違った読み方で読んでしまっている人がいる。
その本の主張を鵜呑みにし、思考を完全にそれに寄せてしまう。そこには彼、彼女自身の意見は無く、他人の主張をあたかも自分の考えだと思い込んでしまう。

これは卒論を書くときに陥ってしまいやすい。いろんな文献を漁るうちに自分の意見が統一できなくなって、どこかの主張を切り貼りしたような論文になってしまう。


思考に飲まれてしまった人は、小難しい言葉で説明しがちになる。何故なら本の通りに言えば、それっぽく聞こえるからだ。難解な用語やカタカナで普通のことを言うだけでいかにも高尚なことを言っているように聞こえるのだ。



「本日の会議でペンディングしたものは各チームブラッシュアップしておいて。ローンチまでのアジェンダしっかりね。」

なんて?(感情のピクセルのあの部分に当てはめるとそれっぽいです)


こんな言葉使って分かるわけがない。いや、分かるかもしれないけど果てしなくウザい。

私のモットーとして『皮肉る時は難解に。伝える時は安直に』というのがある。自分で作った。と思う。無意識にどっかからパクってなければ。

人に何かを伝える時には、誰にでも分かるような言葉で伝えなければならない。プレゼンの鉄則だ。
それはきっと、論文だったり、就活だったり、さらには日常で誰かと話をする時にでさえも重要になってくる。

言葉を簡単にするということは、その難しい言葉の本質を理解しなければならない。簡単に説明できる人こそ、本質的にその内容を理解しているということになる。


では何故、皮肉は難解にしなければならないのか。答えは単純。『わからなくていいから』だ。
遠回しに何かを非難するのが皮肉の本質なのだから、多くの人にわかってしまっては意味がない。回りくどくてちょうどいいのだ。


自己啓発本やらハウツー本は、たしかにとてもためになる。ただ、その思考に飲まれてしまうと結局は本質を理解出来ずただただそれっぽい言葉を並べる薄っぺらい人間になってしまう。

思考に飲まれるのではなく、思考を噛み砕くつもりで読んでみる。賛同できる意見でも必ずその逆説を考えてみる。
そうすれば自ずと自分の言葉で啓発本の意見を取り入れることができるだろう。

単純明解。それができる人が実は1番頭のいい人なのかもしれない。

サブカルショートショート「世界平和ウィルス」

「ついに完成したぞ!"世界平和ウィルス"が!」

「やりましたな博士」

「これもあなたの援助があってこそです。感謝してもしきれません」


とある地下の研究室で、博士と富豪は彼らの偉大な研究成果に酔いしれていた。


「これで戦争や紛争。世界中全ての問題が解決される。私を追放した学会の連中も慌てふためくに違いない」

「ええ。あなたの論文を見たとき、私もこれならばと確信しました。意味のない慈善事業の寄付や社会へのアピールに金を使うより、こちらのほうが100倍世のためになる。早速記者会見の準備を進めましょう」

「まぁ、まぁ、慌てなさるな。急いては事を仕損じる。今私が表舞台に出たところで、ろくに取り扱ってももらえないだろう。どうだろう、ここはひとつ、実際の成果を手土産に持っていくというのは」

「と、おっしゃいますと?」

「なに、簡単なことだ。長年領土問題で争っているP国とI国にこのウィルスを散布するのだ。実際に効果が表れたところで、私とあなたが会見を開く。そのあとにまた何件か成功例を実践しなければならないだろうが、初めに成功させているという実績があるのは大きい」

「確かに。わかりました。早速傭兵を雇い、このウィルスを散布することにしましょう」


富豪は紛争地帯に傭兵を派遣させ、ウィルス入りの爆弾をP国とI国に投下した。

空気感染し、繁殖力が強力であったそのウィルスは瞬く間にP国とI国に蔓延した。


「博士!やりました!P国とI国の軍隊が戦闘を放棄したそうです!」

「そうか!ウィルスの効果が証明されたわけだ!早速記者会見を開こう」


会見には世界各国からの報道陣、精鋭の学者たちが参加した。紛争を解決した学者の記者会見という触れ込みは、半信半疑で人々の注目を浴びていた。


「今回の紛争を解決したのはあなたの研究結果ということでよろしいのでしょうか?」


記者が訝しげに質問した。


「いかにも。私が開発した”世界平和ウィルス”の成果であります」


えへんと博士はふんぞり返って答えた。


「すべての争いには「欲」という感情があることが原因であります。『あそこの資源が欲しい』『信仰する宗教の主張を認めさせたい』そのような欲が、すべての争いの原因であります。私が開発したこのウィルスは、そんな人間の欲を抑制する効果を持っているのです」


会場がどよめく。学者たちが配られた論文を血眼で読み漁る。追放した学者の論文が世界的発見であってはならないのだ。


「私がいくら主張したところで、このウィルスが紛争を解決したという証拠になりえないのはわかっております。ですから、ぜひ正式な場でこのウィルスを散布し、効果を立証して頂きたい」


国際連合はこのウィルスを現在解決困難とされている紛争地帯へ散布した。するとどの地域でも、争いが収まっていったのだった。

数か月にわたる調査の末、”世界平和ウィルス”の効力は証明されたのだった。


「やりましたね。博士。大成功です!」


富豪は飛び跳ねて喜んだ。


「散布された地域で全ての争いが停止した。私の研究の正しさが証明されたわけだ。私の名前が歴史に名を刻むのだ!」

「テレビでもこの話題で持ちきりですよ。ほら、見てみてください」


富豪がテレビのスイッチをつけると、どのチャンネルも砂嵐しか映らない。

おかしいなと思っているうちに、電気も止まってしまった。慌てて博士と富豪は研究室から飛び出した。

そこら中で人が倒れている。死んでいるわけではないが、どれも目に光がない。


「博士。一体何が起こっているのでしょうか」

「なんということだ。ウィルスの効果が強すぎたのだ。感染した者の全ての欲を抑制してしまった。食欲や性欲、果てには生きたいという欲さえも抑制してしまったのだ」

「なんということだ…博士!すぐにワクチンを開発しましょう。ウィルスのサンプルはまだ研究室の中にあります。すぐにワクチンをつくれば…!」

「うむ…そうしなければならないのだが…どうもやる気が沸かないのだ」

偏見音楽分類法(再掲)

これは以前別ブログで書いたものをこっちに再掲しているものです。割とお気に入りの回だったのでこっそり載せときます。





連休前の土曜日、私は前バンドも含めかれこれ8年近く追いかけているバンド、バズマザーズのライブに参加した。
3時間半の濃密なセットリストにすっかりやられた私と友人は、そのまま後輩を呼びつけ、朝まで飲み歩きのデスゲームを繰り広げた。酔った私は終始「女を抱きたい。風俗に行きたい」を連呼していたと思うが、恐らく実際に連れて行かれたら私の愚息は元気をなくしてしまうだろう。引っ込み思案なもので。

その話はまた後日たっぷりと書くとして、今日は一つ、「音楽の接し方」について考えてみようと思う。
これを分析することによって、その人にとっていい曲はどんな曲かが大抵わかる。オススメだ。
私が思うに、人が音楽に接するパターンは、大きく分けて3つある。

「ファッション」としての音楽
「ツール」としての音楽
「メンタル」としての音楽

この3つだ。恐らく私は、「ツールよりのメンタル」だと思う。自分で言うのもあれだけども。
1つずつ解説していこう。

「ファッション」としての音楽が好きな人は、大抵まず、音楽自体に大して興味を持っていない、もしくは「イケてるグループ」に属していることが多い。
テレビで流れているJPOPや、流行のバンドをチェックし、カラオケや会話の中でうまく利用する。ただし、興味はないから深くは掘らない。

「逃げ恥」を見てから星野源の曲を聞き始めた(ただし、恋とSUNだけ)とか、そのレベルの人のことを指す。
流行りの曲をしっかりと抑えているので、ウケもよく、周りの会話にもしっかり合わせられる。女子ウケもいいだろう。イケてるグループに入るのは必然である。
こういう人が「なんかオススメの曲ある?」なんて聞いて来た時には要注意だ。そんな人達にマニアックな中毒性の高いバンドなんて進めたところで、何1つ分かり合えない。

そういう人たちが悪いと言っているのではない。音楽に対して感じているスタンスがそもそも違うのだ。
そう言う人達には、「次に売れそうかな」という勢いがあるバンドあたりを進めるのがちょうどいい。
曲調も激しめではなくJPOPよりのラブソングを歌ってそうなあたりだ。
無難なところをついていけばまず外さない。オススメしたところで、恐らくそいつらは気が向いた時にしかその曲を聞こうとは思わない。

では、「ツール」としての人達はどうか。
ここに属する人達に共通するのは一点。「パリピのノリ重視。」これだ。
フェスでみんなと盛り上がれる曲を大いに好む。
面白い曲もみんなに共有して広められるので、ネタ系のバンドでも食いつく。
キュウソネコカミ、ヤバいTシャツ屋さんなどが最近のお気に入り。
もちろんワンオクやSIMはマスト。
パンクキッズが多く分布してるので、激しめの曲でも全く問題ない。むしろモッシュをしたくてライブに行く部類。
あとはEDMもここのジャンルに入るだろう。
クラブで踊れる曲や、会話が盛り上がる曲を大いに好む。よってここに属する人間は友達が多い。

ここにオススメするのは簡単だ。ファッションタイプの進め方に+して、ノリのいい曲、激しめな曲を重点的に勧めれば良い。アニソンにも理解がある層なので、そっち方面から攻めてもいいだろう。
音楽を他者とのコミュニケーションツールとして使用している層なので、幅広く知識を求める傾向にある。よって、1番曲を勧める時にはやりやすい層だ。

そして「メンタル」
ここが1番難しく、奥が深い。
ここまで読めばお気づきだと思うが、この順番は「音楽にのめり込んでいく順番」になっている。
ファッションとして入り、ツールとして興味を抱き、メンタルに落ちて行くのだ。

ここまで来る人達は、どっぷり浸かっているタイプの人間なので、自分からもガンガン発掘している、もしくは1つのバンドをより深く掘り下げていく傾向にある。
音楽を「救済」として受け止めているタイプだ。
よって、イケてない人やメンヘラが圧倒的に多い。
大抵心の中に闇を抱えており、それを音楽で埋めている。歌詞カードやジャケットまで熟読しちゃうタイプだ。
ただ、音楽の真の魅力もまたそこにあるので、そういう人に向けた曲は山ほどある。
不満や鬱屈した感情を吐き出すのがロックであり、パンクなのだから。

こういう人達には、まず曲をオススメするという行為はしない。こちらの知識と相手の知識を共有する(情報交換)だ。
お互いわからなくても話から熱は伝わって来るので、しっかり聴いてくれる。深い人同士だからこそできる面白いやり取りができるのも魅力だ。
さて、3パターンに分けて私が何を言いたかったかといえば、「病めば病むほど音楽はよく聞こえる」ということだ。

幸せな人はまず音楽に救いを求めようとはしない。
自分が今辛いから、助けて欲しいから、だから気持ちを代弁してくれる音楽が沁みるのだ。
音楽は逃避だ。というのが私の持論であり、自分が精神的に落ち込んでいればいるほど、音楽は深く染み入る。逆に、落ちれば落ちるほどいい曲やフレーズが浮かぶ。
バンドマンにクズが多いのは、そのせいかもしれないと私は勝手に思っている。

辛い時には音楽を聴け。そうすれば、わからなかった世界が少し見えて来るかもしれない。