徒然サブカル随筆

気の向くままにサブカルについて綴ります

如何せん、涙は溢れるもので。

祖父が亡くなった。御年96歳の大往生である。
正直、晩年は大変苦労した。中途半端にボケた頑固ジジイ(怒鳴り散らすタイプ)というのはなによりもタチが悪いということを思い知らされ、「絶対に俺はボケる前に身辺整理をしよう」と心に固く誓った。

それでも、祖父の冷たくなった身体を触った時。棺桶で花に囲まれた祖父を見た時。火葬場で焼かれ骨になった祖父を見た時。どうしようもなく涙が溢れてきた。
祖父の、というよりももっと根本的な、「死」自体の悲しみが私を包んだ。

結局、人は死ぬのだ。それは苦しいことなのかもしれない。あっという間のことなのかもしれない。みんなそれを考えないようにして生きている。毎日死にたいと思って過ごしてるくらいだったらとっくに自殺してるだろうし。
ただ、いざ目の前にそれを見せつけられると、否応無く実感させられてしまう。それは大変恐ろしいことだと思う。

自分だっていつどうなるかわからないのだ。
そんな当たり前のことを、目の当たりにするまですっかり意識の奥へとしまいこんでしまっていたのだ。

臨終の間際、祖父は意識のない中で涙を流したらしい。
すっかり聞こえなくなっていた耳で、何を聞いたかはわからないが。きっと伝わる思いがあったんだろうなと思う。

私が出来る唯一の供養は、忘れないでいることだ。
祖父が生きていたことを、絶対に思い出してあげることだ。
私のまだ短い人生の中で、何度か見て来た死。
大学の先輩、高校の同級生。担任だった先生。
どんなに記憶が薄れたとしても、ふと思い返してあげることが、残された私達に出来る唯一のことだろう。きっと。


正直ちょっぴり苦手だったけど、本当に立派な方でした。
いつか俺がそっちに行く時、堂々と胸を張って逢いに行けるような人になれるよう頑張ります。
おやすみ。じいちゃん。
本当に今までありがとう。