サブカルショートショート「世界平和ウィルス」
「ついに完成したぞ!"世界平和ウィルス"が!」
「やりましたな博士」
「これもあなたの援助があってこそです。感謝してもしきれません」
とある地下の研究室で、博士と富豪は彼らの偉大な研究成果に酔いしれていた。
「これで戦争や紛争。世界中全ての問題が解決される。私を追放した学会の連中も慌てふためくに違いない」
「ええ。あなたの論文を見たとき、私もこれならばと確信しました。意味のない慈善事業の寄付や社会へのアピールに金を使うより、こちらのほうが100倍世のためになる。早速記者会見の準備を進めましょう」
「まぁ、まぁ、慌てなさるな。急いては事を仕損じる。今私が表舞台に出たところで、ろくに取り扱ってももらえないだろう。どうだろう、ここはひとつ、実際の成果を手土産に持っていくというのは」
「と、おっしゃいますと?」
「なに、簡単なことだ。長年領土問題で争っているP国とI国にこのウィルスを散布するのだ。実際に効果が表れたところで、私とあなたが会見を開く。そのあとにまた何件か成功例を実践しなければならないだろうが、初めに成功させているという実績があるのは大きい」
「確かに。わかりました。早速傭兵を雇い、このウィルスを散布することにしましょう」
富豪は紛争地帯に傭兵を派遣させ、ウィルス入りの爆弾をP国とI国に投下した。
空気感染し、繁殖力が強力であったそのウィルスは瞬く間にP国とI国に蔓延した。
「博士!やりました!P国とI国の軍隊が戦闘を放棄したそうです!」
「そうか!ウィルスの効果が証明されたわけだ!早速記者会見を開こう」
会見には世界各国からの報道陣、精鋭の学者たちが参加した。紛争を解決した学者の記者会見という触れ込みは、半信半疑で人々の注目を浴びていた。
「今回の紛争を解決したのはあなたの研究結果ということでよろしいのでしょうか?」
記者が訝しげに質問した。
「いかにも。私が開発した”世界平和ウィルス”の成果であります」
えへんと博士はふんぞり返って答えた。
「すべての争いには「欲」という感情があることが原因であります。『あそこの資源が欲しい』『信仰する宗教の主張を認めさせたい』そのような欲が、すべての争いの原因であります。私が開発したこのウィルスは、そんな人間の欲を抑制する効果を持っているのです」
会場がどよめく。学者たちが配られた論文を血眼で読み漁る。追放した学者の論文が世界的発見であってはならないのだ。
「私がいくら主張したところで、このウィルスが紛争を解決したという証拠になりえないのはわかっております。ですから、ぜひ正式な場でこのウィルスを散布し、効果を立証して頂きたい」
国際連合はこのウィルスを現在解決困難とされている紛争地帯へ散布した。するとどの地域でも、争いが収まっていったのだった。
数か月にわたる調査の末、”世界平和ウィルス”の効力は証明されたのだった。
「やりましたね。博士。大成功です!」
富豪は飛び跳ねて喜んだ。
「散布された地域で全ての争いが停止した。私の研究の正しさが証明されたわけだ。私の名前が歴史に名を刻むのだ!」
「テレビでもこの話題で持ちきりですよ。ほら、見てみてください」
富豪がテレビのスイッチをつけると、どのチャンネルも砂嵐しか映らない。
おかしいなと思っているうちに、電気も止まってしまった。慌てて博士と富豪は研究室から飛び出した。
そこら中で人が倒れている。死んでいるわけではないが、どれも目に光がない。
「博士。一体何が起こっているのでしょうか」
「なんということだ。ウィルスの効果が強すぎたのだ。感染した者の全ての欲を抑制してしまった。食欲や性欲、果てには生きたいという欲さえも抑制してしまったのだ」
「なんということだ…博士!すぐにワクチンを開発しましょう。ウィルスのサンプルはまだ研究室の中にあります。すぐにワクチンをつくれば…!」
「うむ…そうしなければならないのだが…どうもやる気が沸かないのだ」
偏見音楽分類法(再掲)
これは以前別ブログで書いたものをこっちに再掲しているものです。割とお気に入りの回だったのでこっそり載せときます。
連休前の土曜日、私は前バンドも含めかれこれ8年近く追いかけているバンド、バズマザーズのライブに参加した。
3時間半の濃密なセットリストにすっかりやられた私と友人は、そのまま後輩を呼びつけ、朝まで飲み歩きのデスゲームを繰り広げた。酔った私は終始「女を抱きたい。風俗に行きたい」を連呼していたと思うが、恐らく実際に連れて行かれたら私の愚息は元気をなくしてしまうだろう。引っ込み思案なもので。
その話はまた後日たっぷりと書くとして、今日は一つ、「音楽の接し方」について考えてみようと思う。
これを分析することによって、その人にとっていい曲はどんな曲かが大抵わかる。オススメだ。
私が思うに、人が音楽に接するパターンは、大きく分けて3つある。
「ファッション」としての音楽
「ツール」としての音楽
「メンタル」としての音楽
この3つだ。恐らく私は、「ツールよりのメンタル」だと思う。自分で言うのもあれだけども。
1つずつ解説していこう。
「ファッション」としての音楽が好きな人は、大抵まず、音楽自体に大して興味を持っていない、もしくは「イケてるグループ」に属していることが多い。
テレビで流れているJPOPや、流行のバンドをチェックし、カラオケや会話の中でうまく利用する。ただし、興味はないから深くは掘らない。
「逃げ恥」を見てから星野源の曲を聞き始めた(ただし、恋とSUNだけ)とか、そのレベルの人のことを指す。
流行りの曲をしっかりと抑えているので、ウケもよく、周りの会話にもしっかり合わせられる。女子ウケもいいだろう。イケてるグループに入るのは必然である。
こういう人が「なんかオススメの曲ある?」なんて聞いて来た時には要注意だ。そんな人達にマニアックな中毒性の高いバンドなんて進めたところで、何1つ分かり合えない。
そういう人たちが悪いと言っているのではない。音楽に対して感じているスタンスがそもそも違うのだ。
そう言う人達には、「次に売れそうかな」という勢いがあるバンドあたりを進めるのがちょうどいい。
曲調も激しめではなくJPOPよりのラブソングを歌ってそうなあたりだ。
無難なところをついていけばまず外さない。オススメしたところで、恐らくそいつらは気が向いた時にしかその曲を聞こうとは思わない。
では、「ツール」としての人達はどうか。
ここに属する人達に共通するのは一点。「パリピのノリ重視。」これだ。
フェスでみんなと盛り上がれる曲を大いに好む。
面白い曲もみんなに共有して広められるので、ネタ系のバンドでも食いつく。
キュウソネコカミ、ヤバいTシャツ屋さんなどが最近のお気に入り。
もちろんワンオクやSIMはマスト。
パンクキッズが多く分布してるので、激しめの曲でも全く問題ない。むしろモッシュをしたくてライブに行く部類。
あとはEDMもここのジャンルに入るだろう。
クラブで踊れる曲や、会話が盛り上がる曲を大いに好む。よってここに属する人間は友達が多い。
ここにオススメするのは簡単だ。ファッションタイプの進め方に+して、ノリのいい曲、激しめな曲を重点的に勧めれば良い。アニソンにも理解がある層なので、そっち方面から攻めてもいいだろう。
音楽を他者とのコミュニケーションツールとして使用している層なので、幅広く知識を求める傾向にある。よって、1番曲を勧める時にはやりやすい層だ。
そして「メンタル」
ここが1番難しく、奥が深い。
ここまで読めばお気づきだと思うが、この順番は「音楽にのめり込んでいく順番」になっている。
ファッションとして入り、ツールとして興味を抱き、メンタルに落ちて行くのだ。
ここまで来る人達は、どっぷり浸かっているタイプの人間なので、自分からもガンガン発掘している、もしくは1つのバンドをより深く掘り下げていく傾向にある。
音楽を「救済」として受け止めているタイプだ。
よって、イケてない人やメンヘラが圧倒的に多い。
大抵心の中に闇を抱えており、それを音楽で埋めている。歌詞カードやジャケットまで熟読しちゃうタイプだ。
ただ、音楽の真の魅力もまたそこにあるので、そういう人に向けた曲は山ほどある。
不満や鬱屈した感情を吐き出すのがロックであり、パンクなのだから。
こういう人達には、まず曲をオススメするという行為はしない。こちらの知識と相手の知識を共有する(情報交換)だ。
お互いわからなくても話から熱は伝わって来るので、しっかり聴いてくれる。深い人同士だからこそできる面白いやり取りができるのも魅力だ。
さて、3パターンに分けて私が何を言いたかったかといえば、「病めば病むほど音楽はよく聞こえる」ということだ。
幸せな人はまず音楽に救いを求めようとはしない。
自分が今辛いから、助けて欲しいから、だから気持ちを代弁してくれる音楽が沁みるのだ。
音楽は逃避だ。というのが私の持論であり、自分が精神的に落ち込んでいればいるほど、音楽は深く染み入る。逆に、落ちれば落ちるほどいい曲やフレーズが浮かぶ。
バンドマンにクズが多いのは、そのせいかもしれないと私は勝手に思っている。
辛い時には音楽を聴け。そうすれば、わからなかった世界が少し見えて来るかもしれない。
思い出補正もあるけれど2
前回はポプテピピックの感想までだった。
(内容が予想以上のどストライクだったので話が若干気持ち悪くなってしまったのはお詫びします。)
ただ、ここからさらに気持ち悪くなるぞ。覚悟して読めよ。
さぁ、「カードキャプターさくらクリアカード編」の話に移ろう。
多くの大きなお友達を生み出した90年代アニメの怪物。いや、怪獣。
まだ「オタク」や「萌え」という概念すら浸透していなかったあの時代に「NL」「BL」「ショタ」「百合」「ケモナー」「ロリ」「魔法少女」と、ありとあらゆる現在のジャンルをブチ込みまくる。
しかも天下のNHK。潤沢な予算をこれでもかとつぎ込んだ作画のクオリティ。ストーリーはCLAMP(全盛期)。そこに乗っかる菅野よう子の素晴らしい楽曲。「プラチナ」のコード進行については僕ものすごく語れるのでここでは触れないでおくけども。
2chではさくら関連のスレが立ち過ぎた結果、専用板として「CCさくら板」までもが作られる始末。
…とまぁこれでもかとばかりにいろいろな要素を詰め込みまくった作品であり、90年代アニメを語るには外すことはできないだろう。正直そんなに内容詳しくないけど。
ちょっと調べればいくらでも出てくるしねこの辺りのエピソードは。
個人的には、本当に小さい時(小学校低学年だと思う)に、NHK教育.BSを食い入るように見ていたあの時に。強烈に印象に残ったアニメだったというのだけは間違いない。さくらちゃんかわいかったし。ケロちゃんの声好きだったし。ハッチポッチステーション、おじゃる丸、フルハウス、忍たま乱太郎、天才テレビくん、ビットランド…あの時のNHKは最高だった…
脱線しかけたので話を元に戻そう。
高校生になり、アニメにハマって色々掘り返して行くうちに、「そういえば俺カードキャプターさくらめっちゃ見てたな」と過去と現在の自分がリンクした気がした。
音楽に興味を持ち始めたところから菅野よう子を知り、それが「プラチナ」を作っていた。自分が小さい頃に好きだったあの歌が、やっぱり名曲としてきちんと評価されていた。
「自分がいいと思っていたものがきちんと評価されていた」ということが、ものすごく快感だった。
俺は間違ってなかったんだ!的なね。
それが。新作で、しかもリメイクでなく。ストーリーから何から完全新作で。キャストも全く同じで。演技も変わらず。レリーズの部分なんかやばいよね(声優になりてぇ)
泣くに決まってるじゃないですかこんなん。
唯一ちょっと心配してたのがOPだったけれど、坂本真綾は続投。菅野よう子さんじゃなかったのは残念だけど、その分水野さんがすごくいい仕事をしてくれた。ちゃんと「それっぽさ」を出しつつ、いきものがかりのいいところのエッセンスもしっかり入れている。
なによりもあのOPのアニメーション。プラチナからの続きだろと言わんばかりの演出。最高。本当に最高。
作画も従来の絵柄を踏襲しつつ、パステル基調の配色で今っぽい絵柄にしっかりとアレンジされている。
ポプテピピックのインパクトにかすみがちではあるが、これも十分覇権を取れる作品になるだろう。
先日、大学時代からの後輩と飲んだ時にちょうどカードキャプターの話になった。
「1話見て懐かしいなとは思ったんですけど、今見ると恥ずかしくてちゃんと見れないんです」
おそらく、幼少期にこのアニメを見ていた人はほとんど同じ感想になると思う。実際私もそうだ。
いくらいろんな要素を詰め込んでいるとはいえ、基本的には子供向けに作られた作品であることは間違いない。
当時はなんの違和感もなく見ていた我々も、今さくらちゃんと小狼君のイチャつきっぷり、青くささを見ると、正直小っ恥ずかしくてやってられないと言うのが正直な感想だろう。(なーにが数学とお友達になるの!だよそんな中学生いねーよイタいイタいイタい!と、こんな私でさえも正直思った)
これは「成長」だ。大きくなった私達は、いろいろなことを経験してきた。当時に比べて本当にいろんな事があっただろうし、それなりに恋だの愛だの経験してきている。
ある意味で汚れてしまった(あえてこの言い方を言うけど)私達には、彼女らの甘酸っぱさに耐えきれないのだ。
そんなにうまくいくはずがないことを知ってしまったから。
それでも、その甘酸っぱさを噛み締めて見てほしい。
時折感じる切なさを。ノスタルジーを。あの時の自分に重ねて見てほしい。
大人になった僕達が、大人になろうとしている物語を、大人になる前と後で見比べる事ができる。こんな体験はなかなか出来ない。と、私は思う。
魔法なんかあるわけない。世界なんか救えない。
運命はいいことばかりじゃないし意中の人と両想いになんてなかなかなれない。
当たり前のことだけど、それでもあの時の僕達は、彼(彼女)に憧れ、自分もいつかそんな体験をしたいと思っていただろう。
その時の気持ちを、忘れかけていたあの気持ちを、なんとなく思い出させてくれる。
そんな素晴らしいアニメだなと、私は思っている。
それっぽいこと言ったけど僕は小狼君になりたいし、さくらちゃんと一緒にお弁当食べたい(真顔)
なんで僕はカードキャプターじゃないんだよ!こんな世界おかしいよ!!!!いい加減にしろ!!!!!!!!!世界滅びろ!!!!!!!!
思い出補正もあるけれど
濃い内容のブログをブチかまそうかと思っていたが、その前にどうしてもまとめておきたい事があったのでまずはそちらを新年1発目としたい。
もともと、僕はそんなにアニメを見る方ではない。
ただ、気に入ったもの(アニメだけじゃないけど)をびっくりするくらい繰り返し見続ける悪癖があるので、気に入ったものに関してはとことん詳しくなる。水曜どうでしょうしかり。ラーメンズしかり。アニメで言えばらき☆すた、ハルヒあたりはもう引くほど繰り返し見た。高校の時。
幼少期からその悪癖は健在であり、「となりのトトロ」に関してはセリフ全部覚えて1人で味噌汁と白飯をかっ込み、
父「もう友達ができたのか」
メイ「さーつきちゃーんだって!」
さつき「うん!みっちゃんって言うの!」
メシをかっ込む
さつき「行って来まーす」
父、メイ「「いってらっしゃーい」」
と言って玄関をバタバタと出て行く1人トトロごっこをやっていた。もちろん家族には白い目で見られていたことは言うまでもない。
幼少期の痛い話はさておいて、元来アニメを自分から掘ることをあまりしない私は、社会人になってから忙しさも相まって全くアニメを見ない生活を送っていた。サブカルおじさんとしてあるまじき行為である。
ただ、今期に関しては話は別だった。
「ポプテピピック」そして、
「カードキャプターさくらクリアカード編」
後者の話は後でするが、「ポプテピピック」は前々から原作を読んでとても気に入っていた作品だったので、アニメになるのを楽しみ半分怖さ半分で待っていた。
だって…ねぇ…?あのクソ4コマ。アニメにするの無理があるじゃんねぇ…?ストーリーに繋がりもクソも何もないしねぇ…?
結論から言えば杞憂だった。いや、想像以上のとんでもないものを見せられてしまった。
あの手のアニメは、ギャグマンガ日和よろしく、FRASHアニメくらいのクオリティで畳み掛けるようなアフレコをするしかおもしろくする方法がないと思っていたが、それを見事に裏切ってくれた。それ以上のクソを提供してくれた。
恐ろしく好みが分かれる作品だろうことは言うまでもない。
色んなところからパクリにパクリまくったネタがわかる人、声優にある程度詳しく、声だけで誰かわかる(他作品でやってる役がわかる)人にはどストライクだろうが、それ以外の人は理解できないところも多いだろう。
ターゲティングのどストライクゾーンが、
「サブカルクソ野郎」「サブカルクソ女」
に設定されているのだ。
それがどういうことかわかるだろうか?
そう、僕にどストライクだったのである。
無駄に豪華すぎる声優のキャスティング、1話30分という概念を覆す15分×2回。しかも内容同じで声だけキャスト変えて撮りなおしてる。
そして、全部わかるかと言わんばかりなパロディの連打。
アニメなのにガーディアンズオブギャラクシーのパロ出して来たのには驚いた。本当に多方面把握してないと全部のパロはわかんないと思う。
銀魂や、勇者ヨシヒコが好きなら間違いなく気にいるだろう。パロディの元ネタを調べ始めたら、ようこそサブカルパークへ。君もこっち側の仲間入りだ。
長くなったのでカードキャプターさくら編はまた次回。
新年から別な意味で濃い内容になってしまった。
微睡みと過呼吸
私には昔から見る夢、というか、微睡む時に考えることがある。
「自分が死んだらどうなるのだろう」
という永遠に答えが出ないテーマである。
この問題を考えてしまうと胸が締め付けられるようになって若干の呼吸困難になり、過呼吸っぽい症状になってしまうのでタチが悪い。というか今久々になったのでこれを書いている。
生きている以上、必ず死は訪れる。
ただ、無神論者である私は、天国や地獄があるなんて理想は全く持ち合わせておらず、この自己意識がどこに行くのかということばかり考えていた。
この思考を考えているのは誰だ。それは僕だ。
死んだらどうなる?意識がなくなる。
眠りにつく時には意識がない。では死は、例えにもあげられるように、永遠の眠りにつくようなものなのだろう。
そうなると、眠りにつくことが怖くて仕方がなくなる。
僕たちは毎日、死を擬似的に経験しているのではないだろうか。
そんなことを考えているこの僕の意識も、無として消えてしまうのだろうか。
ブレーカーが落ちるように、突然と意識が落ちてなくなるのだろうか。
わかってくれる人がいるかどうかはわからないが、この自意識の消滅の部分が私には恐ろしくてたまらない。
本当に怖いのだ。背筋に寒気が走り、その思考をしていること自体が恐ろしくなってくる。
しかもこの問題、最初にも言ったが答えは死んでみないとわからない。だが、いざ死を迎えた時にそれを実感できる意識はおそらくない。
それが怖くて怖くて堪らないから、私はなにかを残したい。伝えたいのかなと思ったりもしている。
自分が存在していたという事実を誰かに知ってて欲しいのかもしれない。
書いてるうちに落ち着いてはきたが、まだ胸の締め付けは収まらない。
多分今日も、僕は眠れないのだろう。まぁ、いつのまにか寝るんだけどね。
イタくても進んでく
唐突だが、私はいわゆる「イタい」人間だと思う。
こんなブログにこんな記事をあげてる時点でお察しではあるが、少なくとも私は自分がイタいことを自覚している。
自覚している上で自らを晒す行為を繰り返している訳だから、おそらく私は相当なドMか、露出プレイが好きな変態かといったところなのだろう。
このブログも2ヶ月ほど更新が滞っていたのだが、こうしてまたキーボードを打ち込んで醜態を晒しているのは、ある漫画の影響が大きい。
「左ききのエレン」というweb漫画を知っているだろうか。絵は決して上手くはない。むしろ下手すぎる部類に入るが、恐ろしく内容が深い。そしてアツい。
今、ジャンプ+で新たな作画の連載がスタートしているので、興味がある人は見てみるといいだろう。
その中で主人公の1人が言うセリフにこんなやりとりがある。
「俺は…何かになるんだ…」
「ハッ 何かって何だよ‼︎?」
「何かだよ‼︎俺は何かになりたいんだよ‼︎」
「だから何なんだよそれは‼︎」
「何か…!何かにならなきゃ…退屈で…退屈で生きていけねぇよ…」
久しぶりに、ぐさりと、刺さった。
そうだ。俺も、「何か」になりたかったんだ。
今の現状に特に不満はない。買いたいものも買えてるし、好きなこともできている。友人も少なからずいる。
しかし、何か足りない。どこか乾いている自分がいることも確かだ。
臆病な自尊心と尊大な羞恥心に塗れている虎のような今の自分では、「何か」になる土俵にすら上がれていないのではないだろうか。
この考えは以前から漠然と持っている考えだったのだが、今回この漫画を読んで再び燻っていた心に火がついた。
【天才になれなかった全ての人へーー】
というメッセージから始まるこの下手くそな漫画に、私はすっかり魅了されてしまった。
私も、天才になれなかった。
自分は何か特別なものになれるはずだという漠然とした思いだけが募っていくだけの青春時代だった。
結局、評価されることに怯え、影で指を刺されることに怯え、自分を曝け出して何かを表現するということをしてこなかった。
自分に才能がないと認めることが、途方もなく恐ろしかった。
だけど、あえてやろう。傷ついてもいいから、あがいてやろう。
イタいのは百も承知。才能がないのもわかってる。
ただこの渇きを、この退屈を、少しでも紛らわす可能性があるのならば、私はそこに賭けてみたいと思ったのだ。
これを読んで「イタいわこの人」と思うならばそれで構わない。そのつもりで書いているし、そう思えるということは現状上手くやれている証拠だろう。
しかし、どこかこの文章を読んで引っかかる人がいると私は信じている。自分の中にも退屈や渇きを抱え込んでる人がいることを願ってやまない。
そんな人は、とりあえずやってみようぜ。
イタくても、下手くそでも構わない。
動き出さないと、何かにすらなれないんだから。