徒然サブカル随筆

気の向くままにサブカルについて綴ります

見える風景と言い訳

例えば受験。例えば就活。例えば結婚や出産。人間は様々な人生の分かれ道に出くわす。
その時に、否応なしに。頭ごなしに選択を強いられる。
そう考えると人生は「決断」の連続で構成されているとも言えるのかもしれない。
それでも「この道があっているのだろうか」「あっちのほうがいいんじゃないのか」なんて考える余裕なんて与えられない。
時間は無常にも、不条理にも過ぎ去っていくものである。

ふと、思い出すものがあった。高校生の時だ。
周りの先生やクラスメイトが口を揃えて言っていた。「旧帝大早慶に入れないやつは負け」という言葉。
同調という名の無言の暴力に押しつぶされて、いつの間にか自分も同じ考え方になっている。あの感覚。

さらに思い返すと、大学の時。就活真っ只中。
「あいつは一部上場企業に内定もらったらしいぞ」「あいつは中小だってさ。終わってるよな」
そんななんの根拠もない憶測の会話が飛び交う。パブリックイメージとは恐ろしいものだ。
上場していれば安心だ。定年まで働けるなんて絵空事。今の世の中じゃ通じるわけもないのに、どうしても大人数はそっちに流れてしまう。
もちろん私もその大人数の一人に甘んじてしまっていることは確かである。

その時の周囲の環境で、見える景色は大きく変わってくる。
自分の幸せというものは、実は他者からの評価で築きあげられているということに気づいていない人も多い。

「自分が幸せならそれでいいじゃん」という人はごくわずかで、基本的に人というのは多かれ少なかれ「承認欲求」を持っている。
マズローの欲求説の上から2番目であり、「欠乏欲求」に該当する。一番上は「自己実現欲求」だ。上記したごくわずかな人たちがそれにあたる。
つまりはみんな、何かしら認められたいのだ。その手っ取り早い方法が社会的なステータスを持つということになる。
そしてそれは、現代の社会で生活するうえではなくてならないファクターである。

「お義父さん!お嬢さんを僕に下さい!」なんて臭いセリフを吐くにしろ、その両親が求める条件の筆頭に上がるのは「ちゃんとした仕事に就いているか」である。
「定職にはついていません!でも自分の好きなことをしてます!私は今幸せです!お嬢さんも幸せにします!」なんてことを言って認めてもらえたら驚きだ。
社会的なステータスというものはそのまま「信用」に直結する。例えば住宅ローンやクレジットカードの審査、アパートの契約。すべてがその人の「信用力」で判断される。

つまり、大多数が認める存在になることで、社会で生きていく上で不自由なく過ごすことができるということだ。
金持ちになりたかったり、有名になりたいという気持ちは、根底にこの部分が関係してきている。と私は考えている。


話を戻そう。人生は決断の連続だ。決断するためには、本人の努力であったり、運だったりが大きく関係してくる。
限られた時間の中で下した結論が間違ってしまうこともあるだろう。
その時に後悔して、落ち込んで、生きてることが辛くなる前に、もう少し見方を変えてみようじゃないか。


評価というものは「比較」から成り立っている。自分の今いる場所があいつと比べて上か下かで判断される。
さっきの例で言えば「進学校旧帝大早慶に入れなかったものは人生負け組」「上場企業に入れなかったら人生負け組」
と、こういう認識をその環境にいる人間の大多数が持っているということである。

では果たして本当にそうなのか?

いい大学に入ったはいいものの、遊びまくった結果留年。結果引きこもり状態になってしまう人と、いい大学に入れなくても、努力して会社に入って仕事を頑張っている人では、どちらが幸せだろうか。
大企業に入ったはいいものの、人間関係がうまくいかずストレスで鬱になる、いい給料をもらえているけど、激務過ぎて使う時間すらなく体調を壊してしまう人と、有名な会社ではないが上司や同僚に恵まれ、楽しく仕事できている人では、どちらが幸せだろうか。

極論だと言われればそれまでだが、結局は人生の決断は「運」なのだ。ギャンブルだ。未来がどうなるかなんて誰にも分からないのに、今ある情報だけで今後の人生を判断することがそもそも間違いなのだ。
「でも、その決断に成功した人たちのほうが人生幸せに過ごせる可能性は高い」という意見が出てくるだろう。それは残念ながらその通りだ。
いい大学やいい会社に入ることで、その幸せを享受できる人の母数が増えるのは間違いない。既に社会的に認めらてれいるのだから幸せに暮らせる確率は上がるだろう。


でも、絶対じゃない。ここが重要。


既に決断をして、その結果が出ているものを変えることはできない。過ぎてしまったことをやり直すタイムマシンはまだ完成していない。
その出てしまった結果に一喜一憂して、今後の可能性を追い求める努力をしなくなってしまうことが一番のマイナスだ。
「もうこの大学に行けなかったから俺はもうだめだ」「第一希望の会社に入れなかったから俺の人生は不幸だ」
そう考える人はおそらく幸せにはなれない。幸せになる努力をそこで辞めてしまっているからだ。
逆に「いい大学入ったから俺の人生勝ち組だな」「大企業入ったしこれで安泰だ」なんて考えている人も幸せにはなれない。
今の社会的ステータスを過信しすぎて、努力することを辞めてしまっているからだ。

行動しないことが、人生の決断をするうえで一番不幸になってしまう選択だと私は考える。
マイナスのことばかり考えず、今の自分の立場を客観的に見てみよう。それは環境によってはとても難しいことかもしれない。
下ばかりみて、空の景色を見ることができなくなってしまっているかもしれない。
でも、そこで止まってしまったら確実に負けだ。現状が辛くて苦しいなら、その現状を打破する努力をしなくてはならない。

努力すれば結果が実るわけではない。だけど幸運以外の結果はすべて努力から生まれているのも事実だ。
その努力を行うために、現状の見方を変えることは「言い訳」に見えるかもしれない。今のレベルから下がることもあるかもしれない。
でも「言い訳」でいいじゃないか。それで今の現状を変える努力ができるのなら、ジャンジャン逃げ出すべきだし言い訳もすべきだ。

センター試験が終わり、大学入試がせまるこの時期、来る4月に向けて社会人の準備をしている大学生諸君。
今後辛いことがもしあったなら、この文章を読んだことをちょっとでもいいから思い出してほしい。
逃げても、言い訳してもいいんだということを頭の片隅にでも入れておいてほしい。それは決して負けではない。恥ずかしいことでもない。
それを思い出して、実行に移してもらえたら、この記事を書いた甲斐があるというもんだ。


しばらく更新さぼってたからちょっと濃いめのな内容書いてしまった。
今後はまたちょくちょく下らない内容の記事でも書くつもりなのでよかったら見てくださいね。

断つ。捨てる。離れる。

断捨離をした。今まで使っていなかった電子ドラムやアンプ、漫画やゲームやその他のサブカルっぽいものいろいろを全て売った。まぁ、それでもまだだいぶあるのだが。
お値段約3万5千円。今までの思い出やら思い入れやら含めると足りない感じが否めないのも正直なところではあるが、まぁまぁ及第点だと思う。


グッズなどの収集癖はあまりなかったが、本やら漫画やらゲームやらは、使わなくなって棚に全部を並べるところまでに快感を感じる癖を持っていたためになかなか捨てられずにいた。
しかし最近、途端に集めたいという気持ちが薄れてきてしまった。サブカルとしてこれはまずい。とてもまずい。年を取って新しいものに興味を示さなくなり、昔のものばかり思い返すのは典型的な懐古厨のそれだ。そうならないようにと自分に言い聞かせているのだが、興味を持つための時間と労力が億劫になってきてしまっている。

今までにだいぶ集めてきたという達成感か。それとも新しいものを探す体力を失った倦怠感か。確かめるためにもこの断捨離は必要だった。

断つ。捨てる。離れる。で断捨離。うまいこと言ったものだ。今までの思いを断ち、後ろ髪引かれる気持ちを捨てることで、今の状況から離れることができる。つまりは新しいステップに進むことができるということだ。

何か新しいことを始めるには、それ相応の心の体力が必要になる。このブログを立ち上げたのも「ブログを作りたい」と思ってから実に6年の歳月が流れた後である。
心の体力をつけるためには、何かしらのきっかけが必要だ。それが今回の断捨離だった。

きっと手放して後悔するものも今後出てくるだろう。だけど,たらとか、ればとか、考え出したらキリがない。何もないからこそ新しく集められるもの、始められることも絶対にあるはずだ。
きっと私は、今後も定期的に断捨離を行う。がっつり心の中身を入れ替えて、また新しいサブカルにのめりこんでいけるようにしていくのが、私の心の健康のためには必要不可欠なのだろうなと思ったのでした。


さぁ、売ったお金でニンテンドースイッチと新しいギターとベースとサンプリングの音源とDTMを一緒にやる友達を買うぞ!!!!!!!!
あれ、友達ってどこで売ってるの!!!?!??!?!!?!??!!?!?

テレキャスターに気ぃつけなはれや

9月21日。私が前バンド含めかれこれ10年近く追いかけているバンド「バズマザーズ」の札幌ワンマンに行ってきた。

私のことを知ってる人だったら、私が信者レベルでこのバンドを好きだということはご存知だと思うが、元々は前バンドの「ハヌマーン」にどっぷりハマったことがきっかけだ。

ショートディレイにビッグマフで歪ませたテレキャスター。リッケンのベース。手数だらけのドラム。そしてボーカル山田亮一の歌詞。最強の3ピースだったと個人的に思う。

今のバズマザーズももちろん大好きだし、今は今で当時と違った良さがあるのだが、やはり聴けるものならハヌマーン時代の曲を聴いてみたいと常々思っていた。

その中の一つに「幸福のしっぽ」という曲がある。
8分超の大作だ。山田亮一曰く「俺はここに人間の全てをこめた」

大言壮語なんかじゃない。現にここに、この歌で救われた人間がいるからだ。

私の人生で最大の挫折は大学受験だった。進学校に入り、今まで成績トップだった人間が途端に落ちこぼれと化した。高く伸びた鼻はとうの昔にへし折れ、それでもなんとか必死に食らいついて、浪人までして目標の大学入学を目指した。

しかしセンターで大失敗。頭が真っ白になったとはこのことだ。「なんで間違えたのか」すら分からなくて途方に暮れていたので、おそらくパニック状態だったと思う。
変なところでプライドが高い私は、合わせる顔がないと誰にも会わず、話さず、部屋で1人引きこもる生活を送った。

今思えばそんなことでと思うが、当時の私はそう思うことすらできない環境にあったのだ。落ちたら負け組。残りの人生に希望はない。そういう強迫観念にかられながら過ごした高校生活だったから。

完全に心を閉ざし、半分鬱状態になった私を見て、親は私の部屋から刃物類を全部没収した。紐の類も無くなってたと思う。当時の私の目は光がなく完全にイっていたらしい。確かに「どう迷惑をかけずに死のうか」と2週間部屋にこもって考えていたから割とガチだったと思う。

その時に聞いたのが「幸福のしっぽ」だった。
本当に嗚咽がとまらないくらい泣いた。今までも曲を聴いて感動して涙を流すことはあったが、それとはまた違った感情が私を襲った。

私もまだ、人間でいたかったのだ。どんなに辛いことがあっても、黙って全てを受け入れなくちゃいけないんだ。

決して明るい歌じゃない。むしろものすごく暗い歌だったが、その曲が私を救ってくれた。「今の現状を受け入れて生きていこう」と思わせてくれた。
山田亮一は私の命の恩人である。誇張抜きで。大尊敬しすぎるあまりライブ終わりに話しかけることすらできずソッコーで帰っている。


そんな曲を、10年近く聴きたいと思い続けた曲を、目の前で彼が弾いている。本当に感無量だった。涙をこらえるのに必死で。潤んだ視界で前が見えなくなって。それでも一音も聞き漏らすまいとして聴いた。

前バンドの曲をやることに、少なからず抵抗はあったとおまう。今のバンドもとても素敵なバンドだ。過去の曲をやるのは今のバンドに対して失礼だと思う気持ちももちろんわかる。


それでも。弾き語りとしてやってくれた。それだけで本当に嬉しい。私の命を助けてくれた歌を、ようやく私は聞くことができた。

山田さんがここを見てるわけはないんだけどれども、貴方の歌で救われた人間がここにいるということだけでも、こうして残る形で表明しておきたかった。

ありがとう、山田亮一。明日も同じ手段で仕事に行って、理不尽さも品性の無さも受け入れて、それでも私は生きていきます。それが人間でいることなのだから。

Rising Sun Rock Festival 2018 in EZO 参戦レポ兼自分用メモ1日目

毎年毎年懲りずに参加し、2年連続の雨に辟易しながらもなんだかんだで来年もいこうと思ってしまう。
このフェスはそんな魅力がある。やっぱりキャンプしながらのロックフェスは最高である。

テントを張ってるために「フェスなのにライブを見にいかなくても楽しめる」という空間を作れるのはこのフェスだけだろう。
テントでビール片手に聞いた奥田民生は最高だった・・・

ライブ参戦リスト(1日目)
サンボマスター
岡崎体育(チラ見)
・SIM(チラ見)
yonige
ASIAN KUNG-FU GENERATION
・T字路s
・ORENGE RANGE

初手はサンボからのスタート。去年も参戦したがやっぱりサンボはアツい。The BONEZ の分までやってくれた「そのぬくもりに用がある」は大名曲。大満足のスタートでした。
岡崎体育を横目でチラ見しながらSIMへ。正直モッシュに入るつもりはさらさらなかったので「Killing Me」を遠くで聞きながらツーステップを踏みまくっていた。
そしてyonigeへ。最近まともに聞き始めたがとてもよかった。新曲の「リボルバー」がまんまハヌマーンの「アパルトの中の恋人たち」なのでぜひ一度聞いてみてほしい。だらっとした夏の終わりを感じさせる良曲。今後も追いかけよう。
そしてアジカン。中学生の時から聞いていたバンドを生で見るというのはやはり感慨深い。個人的にはブルートレインやってくれたのがうれしかった。あとはエルレとラッドを生で見ることを目標にしよう。
ここで雨と汗でびちょびちょになったので着替えとごはんタイム。炭火をおこしてBBQ。肉を食いながらT字路sを聞く。酒を飲みながらゆっくりと音楽を聴く時間は最高。このためにライジング来てる。

初日一番のベストアクトは個人的にオレンジレンジだった。いやぁ最高だった。世代ど真ん中直撃のセットリスト。
見に来たみんな全員歌詞把握して歌いまくってるのには感動すら覚えた。アンコールまでやってくれて大満足。
これで雨さえ降らないでくれていれば・・・

1日目だけでTシャツ三枚をだめにしてしまった私は、翌日の着替えの心配をしながら男6人で4人用のテントにもぐりこんだので会あった。

如何せん、涙は溢れるもので。

祖父が亡くなった。御年96歳の大往生である。
正直、晩年は大変苦労した。中途半端にボケた頑固ジジイ(怒鳴り散らすタイプ)というのはなによりもタチが悪いということを思い知らされ、「絶対に俺はボケる前に身辺整理をしよう」と心に固く誓った。

それでも、祖父の冷たくなった身体を触った時。棺桶で花に囲まれた祖父を見た時。火葬場で焼かれ骨になった祖父を見た時。どうしようもなく涙が溢れてきた。
祖父の、というよりももっと根本的な、「死」自体の悲しみが私を包んだ。

結局、人は死ぬのだ。それは苦しいことなのかもしれない。あっという間のことなのかもしれない。みんなそれを考えないようにして生きている。毎日死にたいと思って過ごしてるくらいだったらとっくに自殺してるだろうし。
ただ、いざ目の前にそれを見せつけられると、否応無く実感させられてしまう。それは大変恐ろしいことだと思う。

自分だっていつどうなるかわからないのだ。
そんな当たり前のことを、目の当たりにするまですっかり意識の奥へとしまいこんでしまっていたのだ。

臨終の間際、祖父は意識のない中で涙を流したらしい。
すっかり聞こえなくなっていた耳で、何を聞いたかはわからないが。きっと伝わる思いがあったんだろうなと思う。

私が出来る唯一の供養は、忘れないでいることだ。
祖父が生きていたことを、絶対に思い出してあげることだ。
私のまだ短い人生の中で、何度か見て来た死。
大学の先輩、高校の同級生。担任だった先生。
どんなに記憶が薄れたとしても、ふと思い返してあげることが、残された私達に出来る唯一のことだろう。きっと。


正直ちょっぴり苦手だったけど、本当に立派な方でした。
いつか俺がそっちに行く時、堂々と胸を張って逢いに行けるような人になれるよう頑張ります。
おやすみ。じいちゃん。
本当に今までありがとう。

ラジオのススメ その1

最もアンダーグラウンドな情報発信媒体は何か。
TV離れが進んだとはいえ、有事の際にはみんながテレビで情報を集める。仕事をしている人なら、毎朝の新聞は読んでいるだろう。インターネットが主流の現在、SNSは多くの若者が毎日見て情報を得ている。

おそらく、ラジオだろう。
でも、今回はそこが面白いよって話をする。

ラジオはサブカル的にもマイナーだ。
2000年代後半あたりから、アニメや漫画(特に萌えアニメ系)の認知度が高まり、今やパリピまでもがアニメを見ている。最近では「君の名は」なんていう、セカイ系の王道みたいなアニメが大ヒットした。「最新兵器彼女」とかの時代には考えられないことだ。

今はアニメは「オタクが見るもの」ではなく、一般人も見れるものへと昇華したと思う。まぁ好みはあるだろうけど。

だが、ラジオだけは、今も昔も立場が変わらないのだ。
ハガキ職人」が身近にいるなんて話を聞くか?
クラスや職場で堂々と昨日の「オールナイト」の話をする奴が今の時代にいるだろうか。
今時ラジオを聴く人は、よっぽどそのパーソナリティが好きだとか、そのアニメが好きだったりするのだ(アニラジの場合は)
要するにそのコンテンツにコアな人がのめり込むのがラジオであり、そこでしか味わえない面白さがあるのが魅力なのだ。

私もかれこれ10年くらいラジオを聴いて過ごしてきたラジオっ子の端くれなので、ここらで1つ布教活動でもしてみることにする。



・月曜JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力
(月曜25時〜TBSラジオ

「ラジオの帝王」伊集院光が送るラジオ。
テレビでしか伊集院光を見たことがない人は、彼の本性がこっちだということに驚くだろう。
ゴリゴリの下ネタも日々の仕事の愚痴もなんでもござれのオールマイティプレイヤー。元噺家ということもあって、言葉だけで伝える情報量が他の追随を許さない。しっかりオチまでつけるあたりは流石帝王と言った所か。
今なおラジオの最前線を突き進む番組なので、ハガキ職人のレベルがすごく高い。当たりコーナーだと、ネタを聞いて夜中に笑いすぎて眠れないなんてことがザラ。
今まで深夜ラジオを聞いたことない人は、ここから入るのが1番わかりやすいと思う。深夜ラジオのお手本みたいな番組である。



・木曜JUNK おぎやはぎのメガネびいき
(木曜25時〜TBSラジオ

数年前までは裏番組に「ナインティナインのオールナイトニッポン」という化け物番組があった為、不遇の扱いを受けていたおぎやはぎのラジオ。
ただ、やはりあの2人の雰囲気はラジオでも健在。ゆるい笑いを夜中に与えてくれる。
私が聞いていて1番好きだったのは、おぎやはぎが若者のリスナーを増やす為、アニメを見ようとするくだり。
リスナーからの提案で「魔法少女まどか☆マギカ」を見ることになった矢作が、翌週から段々とアニメにのめり込んでいく様子は聞いていて爆笑した。
結局2人ともハマり、スペシャル回として声優まで読んで悪ふざけのコントをする始末。
小木繋がりで、森山直太朗もたまにゲストで出てくる。ファンの方は是非。


・金曜JUNK バナナマンバナナムーンGOLD
(金曜25時〜TBSラジオ

バナナマンの仲の良さがとてもよくわかる番組。
普段のくだらない生活をダベるのがメインのトーク内容なんだけれども、それでも2人の掛け合いのテンポがよく、コーナーがなくても十分楽しめる番組。
基本的にお笑い芸人のラジオは、その芸人の素の部分が出るものが圧倒的に多い。そのため結婚の発表や、ライブの告知などはラジオから発信することも多々ある。
ファンにはたまらない番組だろう。ハガキ職人のお約束もあるので、ハガキを読んでるだけでも面白い。
日村さんの誕生日には毎年星野源がバースデーソングを送りつけてくる。
彼の楽曲の「SUN」も、もともとは日村のバースデーソングが元ネタになっている。
そういうニヤリとするネタをしっかりと決めてくるのがこの番組の良さだ。


くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン
(現在終了。たまに復活有り)

THE内輪ネタの嵐。だが一通り学ぶと1番中毒性があるのもこの番組。
基本的にハガキ職人が送りつけるネタは大抵くりぃむしちゅーの2人の高校時代の先生や同級生、先輩の事をいじる内容であり、彼らは有名人でもなんでもない。
単純にラジオで2人話す彼らを、ハガキ職人が面白おかしくアレンジを加えてキャラを作り上げていったのだ。
ハガキ職人のクレイジーっぷりもこの番組の魅力。
「うんこちんこ番組」と上田が愚痴るだけあって、ネタはほぼうんこちんこ。くだらないにもほどがあるが、それがとても面白いから不思議だ。
あまりの人気っぷりに伝説となり、たまに復活してラジオをするときにはネットニュースにまでなる。
多分今後もたまにやるので、その時に聞いて見るのを強くお勧めする。


長くなりそうなので後半へ続く。
JUNKばっかりで申し訳ない。次回は多放送局や、アニラジも攻めていくので、興味あれば聞いて見るといいだろう。

時には昔の話を

最近ちょくちょくと「ブログ見てるよ」と言ってもらえることが増えた。
言ってくれる人たちに共通してるのは、みんな隠れキリシタン並みにこっそりと言ってくれるという点である。
みてるなら堂々とコメントなりなんなりしてくれ。ただし私に会った時にその話題をリアルに持ち出したら私はイタさのあまり発狂するので。そこんとこよろしく。

まぁ痛いから堂々と言えないのはすごくよくわかる。でもそれを伝えてくれるのはとても嬉しいし、共感してくれてる人もいるっていうことがわかって調子乗ってるのでまた書いちゃう。

と、言っても今回は哲学チックな話ではない。
このブログのタイトル通り、サブカルについてつらつら書き連ねていこうかと思う。
今回は『素質』についてのお話だ。


サブカルにのめり込む素質、というものがあると私は勝手に考えている。
それは「ディグる」ことに楽しみを見いだせるかどうかだと思う。

例えば好きなアニメがあったとする。その中のギャグで他作品のパロディが出てきた。
そこでそれをスルーしてしまうのか、そのパロディ元のアニメをチェックするのか。ここがポイントになる。

私の場合は「らき☆すた」だった。
らき☆すた自体にハマったかといえば正直微妙なのだが、あの作品はハルヒネタ(てか声優ネタ)が多かった。

そのネタがわかればこのギャグの面白さがわかるかもしれない。そう思ってハルヒを見たのが間違いの始まりだったかもしれない。

もともと小さい頃から吹き替えの海外ドラマやアニメを見まくっていたので、乱太郎がコナン。きり丸がルフィ、クリリン。しんべえがマスオくん。なんていうことを気づいて周りの友達に自慢していた。
そう考えると忍たまって声優豪華だよな恐ろしいくらいに。

その次は音楽だ。バンプにハマった。ラッドにハマった。アジカンにハマった。エルレの復活でこないだ泣いた。
そこからそれぞれのアーティストがリスペクトしてるバンド。影響を受けたバンドなどをどんどん掘り下げて知識をつけていくのが楽しくてしょうがなかった。


1つ例を挙げてみよう。KinKi Kidsの『硝子の少年』名曲だね。
この曲は山下達郎が作曲、作詞は松本隆である。
山下達郎は名前くらいなら知ってるけど、松本隆って誰?」
と言う人が大半だろう。そして大半の人はそこで追うことをやめる。
じゃあ試しに松本隆を追ってみよう。
どうやら松本隆は「はっぴぃえんど」というバンドをやっていたらしい。解散後、作詞家として色んなアーティストの作詞を手がけている。「ロマンチックが止まらない」「木綿のハンカチーフ」「赤いスイートピー」……アニソン好きな人なら「星間飛行」の作詞といえばおぉ!となるだろう。

凄まじい名曲たちの作詞をしているすごい人なのはわかった。じゃあ、その人が組んでた『はっぴぃえんど』ってどんなバンドなんだろう?

調べてみると、日本語ロックの先駆けであり、大瀧詠一君は天然色という曲をYouTubeで聴いてみるといい。絶対知ってるから)、細野晴臣(その後坂本龍一らとYMO結成)など、錚々たるメンバーが並んでいる。そんなレジェンドたちがバンド組んでたんだ!すげー!

ってな具合で、掘り下げれば掘り下げるほど色々なことがつながってくる。昔聴いてたあの曲がこの人の作詞だったとか、この人の前のバンドだったとか、そういう発見があるのがとても楽しい。

ちなみに日本語ロックというのをはっぴぃえんどが創り出したが、『日本語で歌ってるのに英語に聞こえる(ダブルミーニング)』を確立させたのは桑田佳祐であり、『1つの音に複数の言葉を詰める』ことを開発したのはミスチルの桜井だったりする。

今だに活動を続けている大物アーティストは、偉大な功績を残してるからこそレジェンド足り得るのだ。


今までの文章を読んで、『おもしれー!もっと知りたい!』と思えたらそれはサブカルの才能があると私は思う。
別に音楽じゃなくたっていい、映画やスポーツ、ミリタリーや歴史だって構わない。それら全てひっくるめてサブカルチャーなんだから。

正直この知識をつけたところで、為になるかといえば全くならない。仕事に役に立つわけもなく、そんな事やってるなら勉強しろと言われてしまえばごもっともである。


サブカルチャーは役には立たない。
だけど、その人の人生を少しだけ豊かにすることはできる。
娯楽って、そういうものであるべきだと私は思う。
(今回のタイトルみてピンときた人はジブリ大好き人間だからね。そーゆーわかる人だけわかるネタ仕込めるのもサブカルの良さだよね)

試しに自分の好きなモノについてちょっと本気で調べてみるといい。意外とのめり込むかもしれないですよ?