徒然サブカル随筆

気の向くままにサブカルについて綴ります

テレキャスターに気をつけろ

 私が人生で1、2を争うくらいに聞き続け、追い続けているバンド、ハヌマーン
残念ながら解散してしまったが、今はバズマザーズとして活動している。

 そのギターボーカル、山田亮一。
彼は天才である。本当に天才なのである。

 どこが天才なのか?
それは彼の作る音楽は「見れば見るほど」染み込んでくる点にある。

 

第一弾として(ツイッターで何回かやっちゃってるけど。)「若者のすべて」という曲を聴いてもらいたい。

歌詞を追いながら、頭の中で想像しながら。聞いてほしい。

 

 

 

青年と走る鉄塊は交差して
赤黒い物体と駅のホーム
復旧を告げる放送を聴きながら
その光景を想って身震いする

延着の紙面を請うて、長い列
零コンマ数秒で片付く命
「ご足労様です」と嘲笑して
青年に俯瞰されてる気がした

それでも明日は何度も
執拗に俺を呼ぶのだ
随分と長い間待たせたそのお詫びに
理想でも土産に持って行こうかい

考えすぎて馬鹿になって
発狂しすぎて普通になって
so that's killed me歌うとは
失望の望を怒鳴ることさ

思い出すのはあの人のこと
ふと、夜空を見上げたら
月の砂塵が目に入って
涙が一筋

お母さんが笑った顔
お姉ちゃんが弾くピアノ
月の砂塵が目に入って
涙が一筋

結局捨てれんかった
恥やら外聞も人間だもんね
しょうがないさ

時間は過ぎてくその現実に
眼球をいつまでそらすつもりか
逢えない誰かを想うとは
失念の念を贈ることさ

心で歌うな喉で歌え
オンボロになって初めて見える価値
so that's killed me歌うのだ
失望の望を怒鳴るのだ ぎぁー!

 いかがだっただろうか?え?歌詞が聞き取りにくい?うるせー山田さんは滑舌が悪いんだ気合いで聞き取れ!
さっそく細かな段落に分けて解説していこう。

 

「青年と走る鉄塊は交差して 赤黒い物体と駅のホーム
 復旧を告げる放送を聴きながら その光景を想って身震いする」

まずは第一段落。しょっぱなで読んで凄さが伝わるだろうか。たった2文でこの歌の導入の情景が一発で分かるように作られている。
飛び込み自殺をした青年。止まった電車。駅構内のアナウンスを聞きながら、現場の光景を想像してぞっとしてしまう。そんな人物が頭の中に浮かんでくる。

まず電車のことを「走る鉄塊」と表現するセンス。そしてそれが一発で電車だとわかる情景の表現。ここだけで個人的にはごはん3杯はイケる。

 「延着の紙面を請うて、長い列 零コンマ数秒で片付く命
 「ご足労様です」と嘲笑して 青年に俯瞰されてる気がした」

運行の再開、もしくは運休の号外が配られ、それを受け取るために長い行列ができている。大幅に遅れたダイヤで、多くの客は予定をすっかり崩されている。おそらくこの歌の主人公も、この行列に並んでいるのだろう。このクソめんどくさい事態を引き起こしたのが、若者が一瞬で投げ捨てた命であるという事に皮肉めいた感情を乗せている。
そんな自分を、その若者が空から嘲笑っている。「お前等、堅苦しい世界に生きているな。お疲れ様。俺は先に抜けさせてもらいました」
この飛び込んだ若者が「ご足労様です」と言っていることから、この若者は主人公より年下であるということが推察される。もしかしたら学生だったのかもしれない。

そのことを頭に踏まえた上でもう一度、イントロを聞いてほしい。

イントロ、学校のチャイムの音に聞こえませんか?

そしてタイトルが「若者のすべて

仮にチャイムの音だとした場合、「この青年の生きる世界の全ては学校にあった」という意味を込めているようにもこのイントロから読み取ることができる。さすがに深読みのしすぎだと言われればそれまでなのだが。

「それでも明日は何度も 執拗に俺を呼ぶのだ
 随分と長い間待たせたそのお詫びに 理想でも土産に持って行こうかい
 考えすぎて馬鹿になって 発狂しすぎて普通になって
 so that's killed me歌うとは 失望の望を怒鳴ることさ」

青年に嘲笑されているように感じている時点で、このお話の主人公は先にこの世界から「死」をもってして抜け出した青年に羨望の感情を抱いている。
なんとなく自分の生きる希望が見つからず、「あーあ。死にたいなー」なんて、漠然とした気持ちで考えにふけった事、みなさんはありませんか?ないとは言わせないぞ。

 ここで、主人公を引き留めるのが「明日」だ。

ココの表現が抜群にウマい。「明日」を擬人化して、執拗に主人公を呼んでいる。
意味は理解できるだろう。どんなに死にたいと思っていても。それでも未来があるということだけで、思いとどまれているんだということ。

しかし、ここで「長い間明日を待たせている」という意味が分からなくなってしまう。別に待たせなくても勝手に明日はやってくるのだから。
つまりここでの「明日」は時間的な意味合いではなく、概念的な意味合いのほうが強いと読み取ることができる。


ここからは私の妄想が多く入っているので信憑性もクソもないのだが、この明日は「モラトリアム」からの脱却という意味での「明日」だと私は考えている。
モラトリアムの言葉自体の意味を確認すると[一人前の人間となる事を猶予されている状態を指す]とwikiにある。

つまり「大人になることを放棄している状態」であるということができる。「大人になりたくないなー」という漠然とした思いは、自分を成長させることを放棄し、ある意味「死んでいる」状態なのではないだろうか。その状態をずっと続けていたいという思いが、モラトリアムであり、思春期である。

その状態を続けていたい。だけど「明日」という未来が自分を呼んでいる。
大人になる覚悟をきめた主人公は「理想」という生きがいを持って大人へと歩み始める。深い。深いぞ山田亮一。

そしてサビ。ここは余計な説明はいらないだろう。
しっかり語尾の韻を合わせることで、聞き心地がよくなっている。
一つ補足しておくと「失望の望」という表現の仕方は、中村一義の「魂の本」という曲でも似たような表現がある。この歌もいいので是非。

絶望や失望の中にも、かならず「望」はあるのだ。

 

「思い出すのはあの人のこと ふと、夜空を見上げたら
月の砂塵が目に入って 涙が一筋
お母さんが笑った顔 お姉ちゃんが弾くピアノ
月の砂塵が目に入って 涙が一筋」

さて、今まで写実的な表現がほとんどだったこの歌、ここから少し抽象的になる。
月の砂塵のいう表現がとても秀逸。月明かりの表現ともとれるし、幼い頃の風景が月明かりから降ってくるように思いだされる事を表現しているともとれる。
いままでリアルなタッチで書いてきた世界観から、ふっとファンタジーっぽい路線に移ることでココだけ幻想的なイメージを抱かせ、泣きのメロディーとも相まってしみる構成になっている。
昔の初恋の人、ケンカ別れしてしまった人、もう戻ってこない人。
自分の思い当たる人を思い出しながら聞くと途端に涙腺に来る。

「結局捨てれんかった恥やら外聞も
 人間だもんねしょうがないさ
 時間は過ぎてくその現実に 眼球をいつまでそらすつもりか
 逢えない誰かを想うとは 失念の念を贈ることさ
 心で歌うな喉で歌え オンボロになって初めて見える価値
 so that's killed me歌うのだ 失望の望を怒鳴るのだ ぎぁー!」

 ハイココ。ここです。ここが一番の聞かせどころです。
「完璧な大人」になりたくて、恥やプライドを全部捨て去りたいと願ったけども、結局人間だからどうしても捨てきれなかった。でも。これを受け入れて生きていくことが「明日を生きる」ということなのだ。
そのことからいつまでも逃げ続けるな。自分の汚い部分をしっかり向き合え。
オンボロになって見える価値が確かにあるんだから。
だからきれいごとで生きるな。ありのままで生きていこうぜ。

 

これは私の独断と偏見の解釈だから共感できなくてもしょうがないと思っている。
しかし、ハヌマーンの歌詞にはこのように何か引っかかるフレーズが所狭しとちりばめられている。

このなかで少しでも響いた言葉があれば、あなたはこのバンド、きっと気に入ると思いますよ。

 

さて、休暇でやることもないし、もう一度聞きあさってみるか。